幸せの確認

いろいろな人と仕事をしていて思うことがあります。それは「確認」についてです。私は、自分がよくぬかる方なので、人に対しても、念には念を入れて確認するようにしています。しかし、聞いた相手が確認作業の重要性を理解していないと、往々にして表面的な確認だけして「はいはい、大丈夫です。間違いありません」と返答してくることがあります。
その言葉をうのみにすると、確認不足が原因で失敗したり、トラブルになったりします。過去に何度もそうした苦い経験がありました。
こうしたことは、仕事の取引相手との関係だけでなく、上司と部下との間でも、プライベートな対人関係でもありがちです。ほんのひと手間かけて、きちんと確認さえすれば、不幸なことは起こらず、皆が幸せになります。
一つ例を挙げます。あなたには欲しいコンサートのチケットがあります。しかし、友だちから「そのチケットは先週で発売が終わったよ」と言われたとします。ここで道が二つに分かれます。「そうなんだ、販売は終わったんだ」と諦める道と、「本当に終わりなんだろうか?」と、自分自身でチケットセンターに確かめようとする道です。
幸せになれる人は、絶対に後者だと思います。友だちを疑えということではありません。念のために、自分自身で確認することが大切だということです。面倒でもチケットセンターに電話してみると、あにはからんや、「先週で終わりの予定でしたが1週間、申込期間が延長になりました」と言われるかもしれません。ひと手間を惜しんで、確認を怠る人と、手間だけど自分自身で確認する人とでは、長い人生でみれば、間違いなく幸せ感に大きな差が生じます。非常にもったいないと思います。

四国管財の時に痛い事件がありました。当社はホウ・レン・ソウを重視している会社ですから、日々、社員さんからいろいろな情報があがってきます。
ある時、病院を担当している社員さんから、「特別な血液型を病院が探している」という情報があがってきました。20年ぐらい前の話です。すぐ、ボイスメールなどの社内ネットワークツールを使って、全社員に呼びかけ、適合する血液型の人を広く探してもらいました。いろいろな人が支援した結果、適合者が5人見つかりました。そのうち3人は当社のネットワークで見つけた人です。その時のことは、「たくさんの人が連携して救った命」として新聞にも掲載されました。
それからしばらくして、別の社員さんから、また、適合する血液型を探しているという話が舞い込みました。「じゃあ、また会社の出番やな」と、情報をうのみにしてしまいました。
直ちに知り合いにメールしたり、あらゆる方法で幅広く呼びかけたりして、協力してくれる人を募ったところ、私の友人が協力を申し出てくれました。彼は会社の広報活動で、ラジオ番組に生出演することになっていました。彼は「これからラジオ番組に出るけど、それが確かな話なら僕がラジオで呼びかけてあげようか?」と言ってくれました。
嫌な予感がしました。私は現場のリーダーに「僕の友人が、ラジオで協力を呼びかけてくれることになったんだけど、その社員さんの話は大丈夫なの? 間違いない話なの?」と確認しました。数分後、「絶対大丈夫です」という返事がきました。こうして、友人にラジオ番組で呼びかけてもらったのですが、この話はデマでした。
改めて、リーダーに「あなたは大丈夫だと言ったけど、どうして大丈夫だと思ったの?」と尋ねてみました。すると、「その社員さんはご兄弟から聞いたと言いましたので、身内の話なら大丈夫だと思ったんです」と答えました。
後日、その社員さんからご兄弟に確認してもらったところ、友だちから聞いたということでした。そして、その友だちは別の友だちから聞いたそうです。すべて伝聞でした。単なるうわさ話だったのです。伝聞が繰り返されるうちに、どこかで「情報を現実化」してしまったようです。
こうした善意の誤報はよくあることです。誤った情報をあげた人が悪いのではありません。私が情報の出どころまでさかのぼって確認すればよかったのです。社員さんが兄弟から聞いたというなら、遠慮することなく「そのご兄弟は誰から聞いたの?」と確認すべきでした。確認作業は、情報源にさかのぼって確認しないと意味がありません。
ラジオ放送の件では、私の情報確認が甘かったために、友人に迷惑をかけてしまいました。痛い事件でした。

写真は出勤時に大門で写真を撮られている素敵なご夫婦がおいでましたのでお声を掛けらせて頂きカメラマンをさせていたのですがベットメイクに入る前でしたので怪しい恰好でしたのでここの社長です怪しい者ではありませんとご説明したら凄く喜んで頂いて一緒に写真を撮ってくださいまして先ほどメールで送ってきてくださいました。嬉しい限りです三翠園宝物第一号にさせて頂きました。