トホホな接待

フレスノ市親善訪問団歓迎交流会が三翠園で催され、私もその会に参加しました。フレスノ市は、アメリカ合衆国カリフォルニア州の中央部にあり、人口約49万人の農業を中心産業にした美しい都市です。かつて、日本から移民が渡った地であり、昭和40年(1965年)2月11日、高知市はフレスノ市と姉妹都市提携を結びました。
私が交流会に参加した理由は、三翠園で催されたからという理由だけではありません。高知市側の会長が同級生の佐竹新市さんだったからでした。彼は高知青年会議所の同級生です。控えめにいっても、彼は同級生のなかで1番公職を数多く務めており、同年代のエースです。現在も土佐経済同友会の代表幹事をはじめたくさんの公職に就いています。私と違って、きちんと、丁寧に務めています。
彼には、いろいろお世話になってきました。特にありがたかったのは、私が高知青年会議所の50代理事長になった時です。彼は、49代理事長でした。計画性があり、そつなくこなし、特にあいさつは素晴らしく感動的でした。私が理事長になった際、彼にあいさつ原稿の相談に乗ってもらい、大変ありがたかった思いがあります。
私は、昨年、高知ロータリークラブの幹事を務め、今年は彼が幹事を引き継いでくれました。高知青年会議所の時と逆のパターンです。ところが、私は、計画性も丁寧さも彼みたいにありませんから、彼の就任にあたって、ほとんどサポートできませんでした。それを申し訳なく思っていました。彼の主催する会は、できる限り協力したいと思っていた矢先の交流会です。私は、彼を応援する意味もあって参加したのです。

当日、気軽に出席した私は、肝心なことを忘れていました。相手は外国からのお客さまであり、英語を話すアメリカ人だったのです。
日米の関係者は、各テーブルに分かれて座りました。しかし、各テーブルに通訳はいません。「さあどうぞご歓談をお楽しみください」と言われても何も話せません。困りました。
私のテーブルに座ったフレスノ市の方は、ソフトボールチームの監督をされているご夫婦のようでした。チーム名はファイティングドッグスという名前だそうです。
私のテーブルは5人席です。幸い、私以外の日本人2人はそこそこ会話ができたため、無言のテーブルにならずに済みましたが、私は彼らの話をほとんど理解できませんでした。スマホに通訳アプリを入れていたのですが、ほぼ単語の翻訳しかできず役に立ちません。私はマスク越しに、ニコニコしているだけという、なんともトホホな状態です。接待どころか同席したフレスノ市のご夫婦に大変気を遣わせてしまい、ご迷惑をおかけしました。
そんな私にも救いの手が差し伸べられました。各テーブルを通訳の人が回っていましたが、その人が来てくれたのです。フレスノ市の方がスポーツに携わる方だったので、「私はゴルフが好きで、実は、今日も先輩とゴルフをしてきたんですよ。ゴルフはされますか?」と通訳を介して話しかけました。そして、今日撮った動画を見せました。「なぜ、この人の動画を撮ったの?」と尋ねられたので、その人が大病をして久しぶりのラウンドだったので、動画を撮ってあげたことを話しました。その人が、病み上がりとは思えないくらい、おっそろしいフルスイングで、ドライバーをぶっ放した話をしたら、すごく盛り上がって、「これをあげよう」と、アメリカのゴルフ場のマーカーをプレゼントしてくれました。なんとか、海外のご夫妻に笑顔になっていただけてホッとしました。
彼らは、高知をいろいろ回って、楽しい思い出をたくさんつくって帰国されたそうです。

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