野球少年(後編)

試合の朝、私は用意したユニホームに着替え、球場に一番乗りしました。性格的に、一番乗りが好きだったことと、初先発ということで気合が入っていました。
少しすると、バラバラとチームメイトが球場にやってきました。友だちは、私を見るや、「おい、中澤、背中がほつれちゅう。直してやるけん」と言って、私の背中を直してくれます。「えっ、どうなってるの」と聞くと、「ちょっと字がずれてる」と言います。変な話です。背番号3がど真ん中にあるはずです。それがずれているってどういうこと? どうにも気になったのですが、相手チームがやってきて練習が始まってしまいました。私もベンチ脇で投球練習を始めることにしました。
しかし、投球練習をしていると、皆の視線を背中に感じます。相手チームもジロジロ見ています。どうにも気になってユニホームの背中を見てみると、
どこで間違ったのか、前日30番の3を母が別のユニフォームに付けたので僕は背番号右横0番を付けていたのです。
「えー! こんな恥ずかしい背番号で試合なんかできん」。私は、急ぎ自転車で家に戻り、
なんとか試合開始までに戻ってくることができましたが、かなり動揺しており、その状態でプレイボールとなりました。
相手は強いチームです。緊張に動揺が加わってストライクが入りません。フォアボールを出すわけにもいかず、ストライクゾーンにボールを置きにいってしまいました。結果、ポカスカ打たれます。
なんとか相手打線をしのごうと、変則的な投げ方と変化球を駆使しました。私は変化球が得意で、それを上投げ、横投げ、下投げで投げました。上投げは堀内、横投げは小林、下投げは上田というように、プロ野球選手の投球フォームをマネして投げました。
ところが、その悪あがきも、審判から「そんな投げ方をしていたら肩を壊すからやめなさい」と注意を受けてしまいました。審判に逆らうわけにはいかず、仕方なく、変速投法を封印して、バッティング投手みたいな変な投げ方で投げた覚えがあります。
試合は、仲間の打線に助けられ、延長戦までもつれ込みました。しかし、最後はサヨナラヒットを打たれてゲームセット。なんとも、ドタバタ感と後味の悪さが残った初先発でした。
その後、大人たちは帰り、子どもだけでもう2試合しました。私のチームは、塾から帰ってきた2番手ピッチャーが好投します。ピッチャーが交代すると、こうも試合がしまるのかというほど、いい試合になりました。結果、2連勝し、対戦成績は2勝1敗です。
子ども同士の練習試合は、敵味方を問わず、大好きな野球を通して仲良くなるものです。この試合以降、私たちは意気投合し、お互いに相手チームの応援にいくようになりました。

この試合には、ほのぼのとした思い出もあります。それは「手袋」です。私は、ブルーチップを集めて、バットなどの野球道具をそろえていました。その中に、ゴルフの女性用手袋もありました。なぜゴルフの、しかも女性用なのかというと、サイズがちょうどよかったからです。
当時、プロ野球でもバッティンググローブを着用している選手は少なかったように思います。その数少ない選手に長嶋と柴田がいました。私にとって、手袋をすることは、憧れの人になる(なった気になる)ことを意味していました。
少年野球で、小学生が手袋をしてバットを構えるなんてあり得ない時代でしたから、私のゴルフ手袋は相手チームの垂ぜんの的となりました。「どこで手に入れたの」「いいなあ」「貸して」と言われ、相手チームも代わる代わる私の手袋を付けてバッターボックスに立ちました。こうして誰もが長嶋選手になったのです。手袋は、手だけでなく皆を温かな気持ちにしてくれました。