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お客様訪問記

今回の「せいちゃんマンが行く」は、四国管財のスタッフが店舗やおトイレの清掃などで長年お世話になっているお客様としての関係だけでなく、「クレームは宝」と位置付ける当社の基本方針や、お客様はもちろん働く方の一人一人の幸せを追及する基本理念に共感して頂き、中澤清一社長をはじめ当社幹部が何度も講演に呼んで頂くなど会社ぐるみの交流のある「こうち生活協同組合」様を訪問させて頂き、佐竹一夫専務理事様にお話をお伺いしました。当社とは、言わば互いに、「働く方とお客様を大事にし合いっこ」をしている間柄であり、全くの別業種ながら学ばせて頂く所が大いにあると感じられるこうち生協様。さて、その特徴や“秘密”とはいかに??

第3回 こうち生活協同組合 代表理事・専務理事 佐竹一夫様

「健康と子どもたちの未来のために」 理念貫き成長続ける 県内の3割世帯が加入


応接間のソファーでインタビューにゆったりと耳を傾けてくださる佐竹専務理事様

−せいちゃんマン 今日は大変お忙しい中、私どもの社内報の企画にお時間を割いて頂き、本当にありがとうございます。さて、こうち生活協同組合(こうち生協)様とは20年前に高知市のコープよしだ店様の清掃管理を任せて頂いた事を皮切りにお付き合い頂き、現在はよしだ店様とかもだ店様の2店舗でおトイレの清掃や夜間に行う床の磨き上げ作業に携わらせて頂いています。私がいつもこうち生協様は凄いな〜と感銘を受けているのが、この間、年に2回開催される協力会社向けの経営計画の発表時に、前年対比の数字などを説明されるだけではなく、さらに組合員様や職員様に対する思いや理念、さらに、こうち生協様は何を大切にしてどこへ向かうのかといったことを毎回、熱く語られていることです。このような取り組みは、売り上げの数字の羅列だけでなく、素晴らしいことだと思いました。

佐竹専務様 こちらこそ、四国管財さんには、1996年に初の店舗であるコープよしだ店がオープンして以来、非常に丁寧なお仕事で大変お世話になっており、本当にありがとうございます。 また、毎年の説明会についてもお褒めの言葉を頂きありがとうございます。私たち、こうち生協は1985年、“組合員の組合員による組合員のための生協”を合言葉に、2013人の組合員さんからスタートし、その時からずっと「健康と子ども達の未来のために」という基本理念を掲げてやってまいりました。お陰様で組合員数は現在、9万7千人を超え、世帯加入率で言いますと、高知県内の約30%の世帯に加入して頂いていることになります。それでも正直なところ、職員側は、ともすれば、どう物を売っていくか、どう加入者を増やすか、ということでついつい考えがちです。しかし、それではいけません。自分たちのしていることが、本当に、「健康と子ども達の未来のために」なっているかということを僕は言い続けないかんと思っています。そのことを常に問い続けないといかん。自分たちがお届けする商品の先にある、組合員さんとその家族の、笑顔や満足のために仕事ができているかどうか。健康と子ども達の未来のために、自分たちは商品をお届けし、組合員さんから聞いた声を広げていくというように仕事をしていかないかんという意識が職員全体に行き渡るよう常に心がけています。

 ネットにも負けない宅配スタイル

−せいちゃんマン それにしましても、こうち生協様への加入率が県内の世帯数の3割にも達しているというのは凄いですね。こうち生協様は、店舗事業よりも宅配事業が主軸でしょうが、今のインターネット社会で、アマゾンなどによる通販もこれだけ普及する中、組合員さんがそれだけ伸びているというのは、全国的にも珍しいのではないですか?

佐竹専務様 そうですね。お陰様で、組合員数はまずまず順調に伸びてきました。もっとも供給高(一般の企業でいうところの売上高)の方は、2000年に入って以降、2004年とか2007年とかに前年を少し割り込んだこともあったんですが、この6年ほど宅配部門の方は前年対比でも伸長を続けることができています。おっしゃるように、一時期はインターネットの普及に加え、ネット宅配、コンビニからの宅配がスタートするのに当たって、全国的に生協の宅配事業そのものがこれからは厳しくなるだろうと言われていました。というのも、生協の宅配というのは、設立以来、週に1回、カタログの中から欲しい商品を注文して頂き、それを翌週の決められた時間にお届けするというスタイルを貫いているんです。ある意味不便な仕組みとなっているところもありますが、しかし、様々なスタイルの広がる宅配業界にあって、今のところ心配されたような状況にはならず、お陰様で前年伸長ができており、本当にありがたいことだと思っています。

−せいちゃんマン それは大変すごいことですね。これだけインターネットが普及し、デリバリーが発達している中でも、こうち生協様は他とは違うものを売られている。だからこそ、それが数字になって表れている面があるのだと思います。そうじゃないでしょうか?

佐竹専務様 うーん、そうですね。やっぱり、うちは基本、職員が組合員さんのところに直接配達するということで、短くても1年間は同じ職員がそれぞれの組合員さんとお付き合いさせて頂くことになります。ですから、単に商品をカタログから選んで注文してもらうだけじゃなくて、商品の配送時はもちろん、生協の情報誌や各支所のニュースなどをお届けしたり、普段はなかなかお会いできない方に対しても、電話でお話しさせて頂いたりと、職員と組合員さんとのしっかりとした関わりがあるんですね。そうした関わりが、前年伸長ということに繋がっているんじゃないかと思いますね。生協の事業そのものが人と人との関わりあってのものであり、組合員さんがより良い商品、より良い暮らしをということを目的につくってくれた組織の中で、自分たち役員も含め、職員が働かせて頂いています。もちろん商品の良さが支持されているということはあると思いますが、何より、利用者である組合員さんがつくった組織であり、その中で職員と組合員さんとが一緒になって共同で事業をつくっているというところが、他の宅配事業者とは明確に違う点だと思います。 一般的にみれば、週に一回、翌週の計画を立てて前の週の内に注文するなんて、売り手が買い手のニーズに応えていないようにも思われるでしょう。しかし、生協というのは、売り手と買い手というのではなくて、組合員さんも職員も同じ立場で作られた組織であり、一緒に一つの事業をつくっているというふうに僕は捉えています。商品を事前に注文して頂くスタイルも、それによって、商品をつくって頂くメーカーさんが、商品を商品センターというところに納品するまでに5日間ほどの時間があり、さらに、こればあ作ってほしいです、ということで確定した品数をお願いすることで、無駄なく、計画的に商品を製造して頂くことができます。これは生協側にとってもロスがなく、安定した仕入れ値で発注することができます。つまり、組合員さんが商品を1週間前に注文して下さるという協力体制があって、収益性の高い事業が成立しているということになるんですね。

−せいちゃんマン なるほど。そうした堅実な仕組みがあってこその安定した事業であり、組合員さんの数も着実に増加されてきたわけですね。 ところでここで佐竹専務理事様個人のこれまでのご経歴についてお聞かせ願えますでしょうか。こうち生協様には22歳で「入協」されたそうですが。

佐竹専務様 はい。僕は西土佐村(現・四万十市)奥屋内の黒尊という山の中の出身で、親は林業で生業をたてていたのでとても4年制の大学に進む余裕はなく、中村高校西土佐分校を出た後、高知市内に出、昼間は中央卸売市場で2年、明治乳業で2年アルバイトしながら学費を稼ぎ、夜は高知短大に4年間通って卒業しました。こうち生協はちょうど僕が大学生の頃にできましたので、大学の講義の中でも、これからは労働組合とかいうことじゃなくて協同組合が世の中で重要な存在になるという話に心惹かれたんですね。本当なら僕は大学を卒業したら田舎に帰りたかったんですが、いずれそういう世の中に役立つ組織で働けるんだったら将来田舎のためにも何かできることがあるんじゃないかなと思ってこうち生協に入ることを決めました。

 組合員さんに育てていただきました

−せいちゃんマン そうなんですね。そうして入協されたこうち生協様で、最初はどういう職場のお仕事をされていたのでしょうか?

佐竹専務様 最初は高知市の高須や五台山をエリアとする東支所で配達の業務に就き、毎日トラックを運転して組合員さんのところを回りました。当時はまだこうち生協ができて5、6年のころ。県外では早くから生協があった地域も多いので、特に、高須辺りにお住まいの県外からの転勤族の方たちは生協の共同購入についてもよくご存知で、向こうから声を掛けて頂くこともよくありました。中には、まだ若造の僕のことをまるで自分の息子や孫のようにお世話して下さる方もいらして、ご飯まで食べさせてもらうこともあって。組合員さんには本当によくして頂き、育てて頂きました。そんな中で、何か自分でもできることをと思い、地域のお子さんを集めてサッカー教室を開いたりとかもしましたね。今でも本当にいい思い出です。

−せいちゃんマン 佐竹専務様が地域の子ども達のサッカーのコーチをされていたんですか?

佐竹専務様 ええ。サッカーは田舎の子ども時代から大好きで。中二ごろから高校卒業するまで昼休みにはずっとサッカーをしていたほどなんです。サッカー部はなかったんですけど、ちょうど10人ぐらい仲間がいたので。大人になってからも生協ではなく、高知短大のチームなんですが、卒業後も県のリーグ戦に出たりもしていたので子どもたちの相手をするのは楽しかったですね。

−せいちゃんマン お聞きしていると、こうち生協様と組合員さんとの間柄が、単に売り手と買い手といったものではないことを、佐竹専務様ご自身がまさに実践して こられたように思いますね。

佐竹専務様 そうですね。ちょうど3年ほど前のことでしたか、突然に、高須地区担当の職員が「佐竹さんは元気でやりゆうろうか?」とある組合員さんに聞かれて、佐竹さんが書いていたNEWSを渡されたと、本部まで持ってきてくれました。僕は高須の担当をしていた頃、毎週、自分が担当している地域であったこととか、自分自身のプライベートなこととかをニュースにして書いて配りよったんですね。その方は、僕が25、6年前に書いたそのニュースを大事に持っていてくださって、そのコピーをわざわざ届けてくださったんです。いやあ、それは嬉しかったですよ。

−せいちゃんマン それはいいお話ですね。それにしても、今のようにSNSなどで誰もが気軽に発信することもない時代に、手書きでニュースを書いておられたというのもすごい。職員の皆様がそのようないろいろなやり方で生協の理念を発信し、いまの9万7000人という加入者数があるのですね。その高須でのニュースは佐竹専務様が自発的に発行されていたんですか?

佐竹専務様 それは当時、僕が仕事を教えてもらった先輩職員が、性格もすごく男前で人気がある方だったんですね。その方が僕より先にニュースを書いていたんですが、その字が下手くそで(笑)。僕も字は下手くそなんですけど、これなら僕が書いたら勝てるがやないか、その先輩を超えるために自分ができるこというたらそれぐらいやないか、と思うたんです。そう、その先輩というのは中澤社長もよくご存知の、竹内さんです。僕がうんと世話になった尊敬する人です。昨年、59歳でガンで亡くなられましたが。

−せいちゃんマン はい。竹内さんのことはよく存じあげています。本当に素晴らしい方でした。確か、生前、竹内さんからもお聞きしたんですが、佐竹専務様は須崎支所時代は、竹内さんのお家にも住まわれていたとか?

佐竹専務様 いやいや、住んでいたというのではありませんが、週のうちそれこそ3、4日は竹内さんの家で飯を食って、竹内さんの上のお子さんが2歳ぐらいのときには、僕がその子をお風呂に入れて、竹内さんが帰ってくるのを待っていたぐらい親しい間柄でした。僕の方も割と早く24歳で結婚しましたので家族ぐるみでずっとお付き合いさせていただきました。竹内さんが僕にしてくれたように、同じ職場仲間の間では上司部下の関係というのでなく、人と人としての付き合いをしていきたいとずっと思ってきましたね。今でこそ専務理事という立場でやっていますけど、常に、現場の声に真摯に向き合っていきたいですし、できる限りお店にも顔を出し、職員といろんな話ができるような専務でありたいなと思っています。

−せいちゃんマン 私と佐竹専務様や竹内様との出会いもそうしたこうち生協様の職員研修の場に講師として呼ばれたことがきっかけでした。佐竹様は専務になられて9年目とお聞きしていますが、最初にお会いした時に思ったのは、こうち生協様のような大きな組織の幹部を務められている方という感じではなく、とても気さくで、実際にやられていることや言われていることの思いが私どもの会社と通じるところがあるなあということ。あらためて、こんなお客様がおられるんだということに感激しました。その時以来、お客様としての関係だけじゃないところでもいろいろとお付き合いさせて頂いており、非常にありがたく思っています。

佐竹専務様 それはこちらこそ同じ思いです。中澤社長はじめ四国管財の幹部の方に職員研修などの講師をお願いするようになり、あらためて四国管財さんの、ほかの会社にはない社風に驚き、感銘を受けました。その一つには「クレームは宝」と捉える対応はもちろんですが、なんと言いますか、僕たちが組合員さんを大事にする以上に、お客様を大事にされるその姿勢もそうですし、なによりいちばん学ばせていただきたいなと思ったことは、働いている方を大事にされているということです。 例えば、僕が最初に見せていただいた四国管財さんを紹介する資料の中に、病院の現場で働かれているスタッフさんのお話があったんですが、それ一つを見てもスタッフさんたちは、単に病室の清掃をしているだけではなくて、そこに入院されている患者さんの願いや思いに応えるということまで意識して働かれていることを実感しました。さらに会社の創立記念日には、勤続10年、20年、30年の社員さんの永年勤続表彰を毎年行われていたり、新入社員の入社時には、その社員のご両親に書いていただいたお手紙をサプライズで手渡されたり、内定の決まっている方の学校の卒業式に中澤社長ご自身が行かれたりする、その一人一人の社員との関わり方、責任の持ち方に深く感動させられています。 何より面白いと思うのは、中澤社長が、この会社をステップにして自分の夢を実現してください、と普通はなかなか言えないことを堂々とおっしゃり、社員の夢を叶える制度まであること。実際に、CDを作って歌手デビューを果たした社員の方もいらっしゃるなど、聞いて驚くことばかりでいつも感心しています。

 「大事にし合いっこ」路線で

−せいちゃんマン 大変なお褒めの言葉を頂き、ありがとうございます。、これからも社員さんを大事にし合いっこ、お客様を大事にし合いっこする路線でやっていかないかん。そう覚悟しないとやっていけない時代に来ていますものね。しかし、こうち生協様は、設立した当初から、数字よりも目的を大事にする理念経営を貫かれていらっしゃいます。今ではよく聞きますが、こういうことをいち早く実際にやられている凄い組織といってもいいと思います。それはやはり凄い事だと思います。

佐竹専務様 ありがとうございます。はい。それはそうなんですが、実際うちも店舗部門の方は、ずっと、よしだ店とかもだ店の2店体制でやっていますが、それこそ以前は1万円以上のレシートを集めてもらったら500円分の商品券をお返ししますといったことをやったり、日曜日に組合員証を提示して買い物頂くと5%オフしますとか、他の量販店さんがポイント5倍、10倍とやっているのと同じような販促もしていたんです。それをやって実際、供給高が大きく伸びていた時期もあるんですが、収益ということでいうと、広報費などの下げ止まりがないので赤字幅は膨らむ一方で、果たして、これが自分たちの身の丈に合った経営手段なのかどうかを改めて考え直さないといけませんでした。そんな時に、たった一店舗で嶺北地域の食生活を40〜50年にわたり支えている土佐町の末広ショッピングセンターさんを訪ね、会長さん、社長さんにアドバイスを請いました。正直、これだけの赤字があって‥ということをお話しした上で、改めて、自分たちの店が「健康と子ども達の未来のため」に存在し、そのことだけでも事業として成り立つような店に変えていきたいんだという話を率直にさせて頂いたんです。それを機に、2012年の12月からはそれまでやっていた販促イベントを打ち切りました。その後、供給高は落ち込みましたけど、収益は随分改善しています。 そのように、県内の、いわば同業者でも見習うべきところの多い企業に学びに行かせてもらうようなことができるようになったのも、中澤社長と出会い、四国管財さんと様々にお付き合いをさせて頂くようになってからのことですね。高知県内にも、自分たちの理念というものがしっかりとあって、単に利益追求ではなくて、社会の幸せのために存在している会社があるということに気付かされたんです。 そんなわけで、末広さんにも色々と相談に乗って頂いた結果、かもだ店は一昨年の11月にリニューアルしましたので、その経費分はまだ赤字になっていますが、事業行動としては確実に変化しました。これまでのようなセールを中心とした買い場でないので、毎日丁寧な商品づくりができ、組合員さんともしっかりとコミュニケーションが取れるお店になってきていますね。

−せいちゃんマン それは素敵なことですね。当社との交流がきっかけで、こうち生協様の内部の活性化にもつながっていることをお聞きすると、こちらもとても嬉しいです。佐竹専務様には当社の価値をいち早く見出し、ご評価頂いて、本当にありがたく思っています。

佐竹専務様 いやいや、四国管財さんには学ばさせてもらうところがまだまだたくさんあります。僕たち、こうち生協は、できて32年ぐらいですので、60を定年とすると、大卒で採用された職員が最後まで勤め上げるというところまでは、まだあと何年かかかるんですね。それでも最近は、中途採用の職員に毎年一人二人、定年を迎える方が出てきました。中には、中途採用で10年20年勤め、定年退職後、65歳で再雇用も終わって退職という方もおられます。つまり、こうち生協が、その職員の家族の暮らしを支え、その職員の子ども達が大学を卒業し、社会人として地域に巣立っていくという時を今、迎えているということなんです。定年を迎えるまでうちで働いてくれた方が、うちで働くことで収入を得、家族を養って、その家族が社会人として頑張っている。このことはなにより、こうち生協の理念である「健康と子ども達の未来のために」ということを社会の中で実現しゆうということですので、本当に、なんかこう、やりがいというか、感慨深いものがありますね。 去年でしたか、職員の息子さんが高校を卒業し、まだ契約社員ではあるんですが、うちで働いてくれるようになったんです。高知の地に生協ができて、その生協で生業を立ててこられた方の子どもさんがお父さんの働きゆうところで働いてみようと思う。お父さんが嫌な思いで働いていたら、その子どもさんが同じところへ働きには来てくれんでしょうから、そう考えると凄く嬉しかったですね。

−せいちゃんマン 親子二代で勤めてくれる職員さんがいるとは、本当に嬉しいことですね。当社でも、以前は清掃の会社で働いていることを家族にもなかなか言えないでいる社員さんがいることを知った時は、私もショックで、スタッフが胸を張って社名を言える会社にしようということで頑張ってきましたので、その嬉しさはとてもよく分かります。 また先ほどもお話に出ましたが、当社では経営理念の中にスタッフ一人一人の夢の実現を目指しているところです。そこで、よろしければ、ここで佐竹専務様の今の夢をお聞かせ願えますでしょうか?

佐竹専務様 僕の今の夢ですか? そうですねえ。まあ一つには、やはり今はまだ、店舗事業の赤字が創業以来続いているのでそれを黒字化したいということですね。もともとは4号店までは作りたいという計画を持って事業をスタートさせていますから、まずは今の2店舗をしっかりと黒字化させることを前提に、3号店、4号店と展望をつくっていきたいなと思います。そして、「健康と子ども達の未来のために」という理念を次の世代に引き継いでいきたい。やはり生協なんで一人でも多くの方に組合員さんになって頂いて、その方の暮らしに役立つことが地域に役立つということだと思いますから。 僕がもともと生協に入った時には、単純な話なんですが、その当時、僕の田舎では栗とかを作りよったので、そんな、田舎で世話になった方々が作られたものを生協で扱えたらえいなあという思いがあったんです。それはすごく狭い世界のことかもしれませんが、僕の中では、自分のふるさとで暮らしゆう、自分を育ててくれ、お世話になった方たちのために生協が役立てるよう、そのために何か恩返しがしたい。そう常々思っています。

−せいちゃんマン そうでしたか。ふるさとへの熱い思いも、佐竹専務様がこうち生協様に入られる動機になったんですね。それで、ふるさとの奥屋内には、生協様はいつから配送に行くようになったのですか?

佐竹専務様 それが思ったよりも早く、僕が入協して3年ぐらいした頃でしたね。両親は今も二人で奥屋内で暮らしてるんですが、このごろはもう行商のトラックやバスなんかも入って来なくなりましたし、地域の雑貨店も生鮮食品を扱っているところはなくなりましたから、まさに生協で暮らしをしてもらっています。自分が生協に入った時もそうですが、いま僕がこういう立場で仕事ができるように育ててくれたのも全部、両親をはじめ、小さい頃お世話をしてくれたふるさとの人たちのお陰です。そのふるさとが今、どんどん人が少なくなって、昔遊んだ田んぼや畑や悪さした山や‥そんなものがどんどん荒れていっている現状があります。それをなんとか守るというかね、そういうことをして、なんとかお世話になった方々に恩返しをしたい。今は専務理事という立場で好きなときにリタイアするわけにはいきませんが、ふるさとのために、できる時に具体的な形で何か恩返しをしてあげたい。ふるさとで生きていきたい。そういう思いは凄くありますね。

−せいちゃんマン ふるさとへの強い思い、よく分かりました。ぜひ夢を叶え、ふるさとの方々への恩返しをしてあげて下さい。必ずできる時がくると思います。 そして、最後にもう一つお聞かせ下さい。佐竹専務様には、当社がバックアップさせてもらっている「大人が夢を語るドリームプラン・プレゼンテーション大会(通称ドリプラ)」の地方版である梼原高校ドリプラや、幡多ドリプラにも私と一緒に審査員を務めるなど応援いただいておりますが、もしも、ドリプラにご自身が出場されるとしたら、やはり、ふるさとへの恩返しがテーマでしょうか?

佐竹専務様 そうですねえ。ふるさと奥屋内の、景色でもえいし、食材でもえいんですが、そういったものを通じて、県内外を問わず、いろんな方々と交流を深め、それがお金を生み出して、地域の人たちが、自分が亡くなるまで生活ができるような、協同組合というとおかしいかもしれませんが、そのようなことができたらいいなという夢を語りたいと思います。こうち生協の小さな小さな奥屋内版のようなものかな。実はうちの家は4代、5代と続く宮司の家系で、僕の親父も地域の三つ四つの神社をずっと守っているんです。僕が小さいころには、神祭があればみんなで筵(むしろ)に飯台を出し、酒や持ち寄りの皿鉢を並べて花取り踊りを踊るのをちょこんと座って眺めていたりしたもんでした。 代々続いた宮司ですが、宮司になるには年に一回、潮江天満宮で約一カ月ある研修会に参加しないといけないんです。この三、四年は親父にもずっと言われてるんですけど、今はまだとてもじゃないけれど仕事を1カ月も休むことはできないので、引き継ぐことはできていません。しかしやはり何世代も続いてきたものを僕の代で終わらせるわけにはいきませんからね。昔の神祭の“お客”のような光景も今では無くなってしまっていますが、いつかはまたそういうものを復活させたい。やはりいつまでも残したいふるさとの光景です。 奥屋内までは、高速が窪川までつながった今でもノンストップで3時間はかかります。今は仕事が第一で、泊まりに帰れるのは正月と盆の年二回がせいいっぱいですが、それでもふるさとを忘れたことは片時もありません。本当にいつか必ず恩返しをしたい。そのためにも今は「健康と子ども達の未来のために」というこうち生協の理念を職員はもちろん、一人でも多くの組合員さんと一緒に実現するために、任された仕事を責任をもってやり遂げたいと思っています。

−せいちゃんマン 今日は本当にお忙しい中、長時間のお話を頂きありがとうございました。改めて佐竹専務様の飾らないお人柄とその原点にあるふるさとへの熱い思い、そして、「健康と子どもたちの未来のために」という基本理念を決して見失うことのないこうち生協様のお考えがよく分かりました。どうかこれからもお互いに学ぶべきところを学び合う交流を続けさせて下さい。なにとぞ宜しくお願い致します。


黒ぶちの丸い眼鏡が印象的な佐竹専務理事様です。



せいちゃんマンと佐竹専務理事様の2ショット。こうち生協様と四国管財との間柄は、店舗の清掃などを任されているお客様としてお世話になっているだけでなく、同じく理念経営を大切にする団体と企業のトップ同士として親しいお付き合いをさせて頂いています


佐竹一夫様(さたけ・かずお)

1966年12月28日生まれ。西土佐村(現四万十市)奥屋内出身。中村高校西土佐分校を経て、高知短大へ。高知市卸売市場で2年、明治乳業で2年、アルバイトをしながら夜間に同短大に通い、88年に卒業し、こうち生協に入協した。高知市の高須、五台山地区などをカバーする東支所を皮切りに配達の業務から始め、須崎支所を経て、92年、四万十支所の副支所長、93年同支所長。96 年本部に戻り共同購入部門の部長に。2004年には常勤理事となり、常務を経て2008年から専務理事を務めている。


「こうち生活協同組合」様とは・・・

http//www.kochicoop.or.jp/about/ 1985年11月18日、2013人の組合員によって設立された高知県の生活協同組合。生協は利益を追求する組織ではなく、組合員様の「こんな商品があればいいのに」「こんなサービスができないか」といったニーズを実現するため、組合員様自らが「出資」し、意見を出し合って「運営」し、事業や活動を行うことで「利用」していく仕組み。主役はあくまでよりよい暮らしを願う組合員の皆様であり、「健康と子どもたちの未来のために」を基本理念に、組合員様に安心安全な食品等を届ける宅配事業を柱に、現在、県内全域で組合員様が9万人を超えるまでに成長しています。 店舗事業では高知市内に「コープよしだ」「コープかもべ」の2店があり、オープン以来、四国管財がトイレの清掃や夜間の床の磨き上げ作業などに携わらせていただいています。

2015年11月にリニューアルした「コープかもべ」店

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