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お客様訪問記

「せいちゃんマンが行く 四国管財 お客様訪問記」2回目は、2010年から本社4階の一室に「たんぽぽ教育研究所」を構え、子どもの気持ちに寄り添う教育相談・カウンセリングを行われている、当社にとってなくてはならない存在である大ア博澄さんにご登場いただきました。せいちゃんマン(中澤清一社長)とは、大アさんが県教育長であられた2002年ごろからの付き合いで、大アさんはせいちゃんマンが最も尊敬する人生の大先輩の一人でもあります。二人の対談を通じて、さまざまな悩み苦しみがあるからこそ人間として成長していけること、また人を肩書きでみるのでなく、誰に対しても同じく接し、一人一人を大切にすることの大切さを知ってほしい、そしてまだ大アさんとお話ししたことのないスタッフのみなさんにも気軽にたんぽぽ教育研究所に足を運んでいただきたいと思います。



いつもにこやかな大ア博澄さんとせいちゃんマン。たんぽぽ教育研究所での珍しい?2ショット

第2回 特別編 スペシャル対談 せいちゃんマン たんぽぽ教育研究所・大ア博澄所長と語る「たんぽぽの奇跡」続く

−せいちゃんマン 本日はお忙しいところをありがとうございます。いつも本当にお世話になっております。さて今日は、うちのスタッフの中にも、当社にたんぽぽさん(たんぽぽ教育研究所)ができた背景や、大アさんのこともまだよく知らない方もおりますので、改めてご紹介させて下さい。

大アさん はい。こちらこそ中澤社長様はじめ、四国管財の皆様には非常にお世話になっております。本当にありがとうございます。まず、ここにたんぽぽを開く事になったきっかけといえば、県教育長を退職する前、2009年の秋に、ちょうど教育委員をやって頂いた関係で知っていた中澤社長さんから「4階の部屋が空きました。色々全部用意します。すぐ来て下さい」というありがたいメールを頂きまして。その次の春から、ここへお世話になりました。

−せいちゃんマン あの頃僕は、大アさんが県を退職後に教育相談所を開設する場所を探している事を知っていて、その時点で心の中では(この場所を提供しようと)決めていたんです。それは、会社として、組織内の人間とは違う立場で、冷静に社員さんの悩み事や、社員さんのお身内の方の話を聞いてくれる方のいる場所が必要だからです。ただ、うちの社員さんに、会社の一室をボランティアで貸すという事をどう説明しようかという事で悩んでいました。でも経営幹部に話したら皆が応援してくれて、とても誇りに思いましたね。大アさんには、社内のオッケーが取れた時点で、うちに来て下さい、とサプライズでメールを送った覚えがあります。

大アさん いや、あの時のメールは、ほんとよう忘れませんね。嬉しかった。それから、たちどころに「たんぽぽ教育研究所」の立派な看板を付けて頂いた。この大きなテーブルもどうしても欲しくて、これだけは自分で買いますと言うたんですけど、いえいえこの際ですから大丈夫ですと社長さんが言うて下さいまして。この本棚も全部です。本当に申し訳ない。いま考えても、これはとんでもない事でしてね。会社にとっては毎月莫大な持ち出しがあるだけで、何にも見返りはないようなものなのに、大切な部屋を丸ごと提供して頂けるなんてねえ。

−せいちゃんマン いえいえ、とんでもない。たんぽぽさんには、数字には表れない大きな恩恵を受けています。確かにバランスシートでは見えませんけれど、足し算引き算じゃない、目には見えないところで恐ろしいほどのメリットを頂いています。それをうちの社員さんは理解していると思います。

大アさん そう言って頂けると本当にありがたいですが。そもそも私が、教育相談という事をライフワークにしようと思ったきっかけをお話ししますと、それは我が子の不登校なんですね。今から25年ほど前、高校2年生だった長男がとうとう学校に行けなくなりました。ある日突然そうなったのではなく、長男はよく頑張っていましたが、いずれ行けなくなるだろうとは分かっていました。ですが、その頃は相談するところがどこにもない。学校もぜんぜん助けてはくれませんでした。もうどうしたらいいか分からんという事で親も子も、ほんと、出口のないトンネルをさまよい続けるという事になりました。それがきっかけでした。誰も助けてくれん。そんな時、県庁生活の最後に偶然、教育委員会へ行けたので、わたしは内心、不登校の子どもやその家族の苦しみに寄り添い、助ける事を絶対にやろうと思うたんです。

 二人の出会いは?

−せいちゃんマン 僕が大アさんに初めてお会いしたのは、青年会議所の理事長をしていた2002年頃の事です。当時、青年会議所で「寺子屋委員会」というのをつくりまして、大ア教育長にご意見をうかがいに行ったんですね。その時、大アさんは、「寺小屋というのはえいねえ。生き様も教える。学力以外を教える。そういう学校を私はつくりたい」と言われました。ああ素敵な方がおるねえと、皆で喜んで帰ったのを覚えています。

大アさん それが初対面でしたか。しかし中澤さんの名前は僕、かなり早い時期から知っていました。教育委員会には若い頃にも一度おったんですが、その頃、文化の県づくりを進める県民ネットワークというような組織をつくりまして、世の中で素敵な生き方をしている人は全部自分のポケットへ入れていたんです。なので早くから中澤さんは僕の網にかかっていました。料金は決して安くはないけれど、とてもきちんとしたいい仕事をされる会社を経営されている方だ、という認識でした。県の入札関係からの情報だったかもしれませんが。

−せいちゃんマン そう聞くと嬉しいですね。当時は県の仕事も結構させて頂いていましたので。その後、2007年に県の教育委員の役職に就くようご依頼を頂いた時には、最初、青年会議所の理事長の当て職でよくある、いわゆるお飾り≠フような内容でしたらお受けはできません、とお断りしようとしたんですが、大アさんが、いや言いたい事は全部言いたい放題言うて下さって構いませんと言って下さって、お引き受けしました。あの教育委員を務めた4年間というのは僕にとって非常に良い経験になりました。

大アさん それは良かったです。教育委員の一人に中澤さんを選任するよう知事に推薦したのは僕ですが、狙い通り、中澤さんにはズバズバと本音で物を言い、教育委員会に新風を吹き込んで頂いて、とても楽しかったです。僕は県庁生活の最後の8年、教育長をやらせて頂いたんですが、この間、直接、自分で教育相談をやりました。幹部達には苦い顔もされましたが、あちこちの現場に行っては、困った時は、僕に直接連絡して下さい、と言うて回ったんです。そうしたら手紙やメール、直接訪ねて下さる方まで、たくさんの相談が来ました。その中で一番多かったのが不登校、次いで、いじめ、非行、それに、障害をお持ちの子どもさんのいらっしゃる保護者の方の悩みですね。地域の学校に行かせたいけれどなかなか行けないとか、今の先生に引き続きお世話になりたいんですが‥といったような。そんな方のお世話をずっと続けよったので、ライフワークで教育相談をやろうと思うたんです。退職前から、たんぽぽ教育研究所という名前だけは決めていて、携帯電話に相談が来ていましたからバーチャルでは存在していたんですがね。ハハハ。しかし、ここに事務所を構えさせて頂いた事が何よりもありがたかったです。

−せいちゃんマン 大アさんの夢に、便乗させてもろうた形ですよね。当社のメリットのために。僕は社会貢献という言葉が嫌いなんですが、当社のメリットのついでにこの場(たんぽぽ研究所)があるおかげでいろんな方に喜んでもらえる。それを見た周りの人は、これを社会貢献と呼ぶかもしれません。それは結果論です。当社は基本的に全部そういうスタンスですので、あまり、まるごと寄付とかはしません。そのお金があったら社員さんのために使うべきですので。ただここは違う。うちの社員さん、いっぱい助けられていますから。何度も言いますが、大きな意味があります。大アさんご自身の経験から始まった教育相談所が、世直しにもつながっている。素晴らしいことだと思っています。

大アさん 世直しという言葉が出ましたが、2010年にここができるに当たって法人化し、会社の定款を中澤社長と二人で考えた時に、最後の一項に「世直し」というのを入れようとしましたね。それでは登記が難しいという事で結局、書面に盛り込む事はしませんでしたが。しかし、われわれにそれぐらいの思いはありました。つまり、世の中全体が子どもの幸せを育てていくようにしないといけない、ただ、僕がここで一つ一つの小さな問題をいじくっていても子ども達全体が健やかに育ついい社会にはなかなかならんだろう、と。なかなか難しい事ですが、今ももちろんその思いでやっています。

−せいちゃんマン はい。世直しは、株式会社の利益として定量的にはかれるものではないかもしれませんが、大アさんの言われるように、たんぽぽ教育研究所の活動が、子ども達一人一人が健やかに育つ社会の実現につながれば、高知県全体が良くなる。そうすると日本が良くなり、世界も良くなって、経済が活性化します。これは最大の利益ですね。まあ理屈ではなんぼでも言えます。あの時、定款には入れる事ができませんでしたが、また機会があれば改めて定款にも加えたいですし、定款にあろうがなかろうが、たんぽぽを通じて、そうした社会を目指すことに変わりはありません。

大アさん ええ。ただ世直しというのは、みながちょっとずつ一緒に石を運んでいくような事からしかできませんよね。そういう意味で、ここができてもう8年目ですが、まあ小さな石は積んだかなあと思いますね。地域の、人の目につかないところで大切な活動を黙々と続けている方々をささやかに表彰し、感謝状を贈ろうという「たんぽぽ教育文化賞」も毎年続けてきて本当に良かったと思います。

−せいちゃんマン ええ?8年目ですか?もうそんなにもなりますっけ!へえ。改めて凄い事ですねえ。僕も、たんぽぽ教育文化賞は続けてきてほんとに良かったと思います。お芋を掘っているおばちゃんや、障害のある子どもさんや‥、あのネットワークができた事だけでも素晴らしいです。今年も10月の終わりに表彰式を予定してますが、もう7回もやってきて、こんなユニークな賞は全国でもない。これだけは続けていきたいですね。しかし、たんぽぽさんは、もう8年目に入っているのに、考えたら、一度もピンチはなかったでしょう?運営の危機のような事は。

大アさん そうですね。それがなかったんですね。私はこれを「たんぽぽの奇跡」と言うてます。もちろん、ちょっと資金繰りが苦しいといった事はあるんですけど、そんな時に限ってまとまったご寄付を頂いたり、謝礼をたくさん頂く講演が入ったりとかで不思議と救われてきました。正直に言えば、初めは、僕の知名度がだんだんと落ちていくのに従って、お客さんも来られんようになって多分数年で閉店するようになると思っていたんですけどね。それが思いのほか、知名度がだんだんに高まって、お客さんの数も、まあ統計は取ってないんですが、あまり減らない。むしろ毎日電話を掛けてくるような方が何人もおられて。もちろん、四国管財さんが全面的に支えて下さっているお陰ですが、相談料は取らないというのが社是ですから、大根やキュウリやお花を持ってきてくれたり、中には、子どもさんが心のご病気でお困りのパートで働いている女性で、毎月一回、貯金箱にお金が貯まったら持ってきてくれる方もいます。とてもいい方で、来られたら、もう怒涛のように、一時間ぐらい子どもさんの事や病気の事を話して行かれるんですが、そんな方から、こんな貴重なお金をもらわれんと思うのですけど、妙に、戻すわけにもいかんので毎月頂いています。きょうの、このお花は昨日来られたTさんが持って来て下さったものです。

 報酬は不思議な幸せ

−せいちゃんマン 無料で続けられているという事自体凄い事ですが、ここに来られる多くの方が、自分でできる範囲の事で全力で応援して下さっている。そういう姿を目の当たりにするたび胸が熱くなります。うちの社員さんの中にもやっぱり、元気のない方や、辞めていく方もおり、われわれ会社の人間では相談できない事も大アさんに話して気持ちが楽になる方がたくさんいます。本当に会社の中にこの場がある事がありがたい。存在自体が世の中の役に立っているのを実感しますね。

大アさん お役に立っているのかどうか自信はないんですが、ただ、僕、ここへ来た2010年と今とを比べて非常に感激、感動している事があるんですね。それは、ここの会社、四国管財の社員さんが僕に優しくしてくれる度合いがね、日に日に高まっているという事なんです。僕は田舎の生まれなんですが、田舎の人はもう遠慮のかたまりです。畑で仕事しよったら大根なんか持って行け持って行けってくれるのに自分がもらう段になったら徹底的に遠慮する。それが田舎の人の習性で、僕もそれがしみついてますので、なかなか物をもろうたり、こんな立派な部屋に平気な顔で図々しくようおらんはずなんです。本来は。それがなぜかね、日に日に居心地がよくなってきゆうんですね。

−せいちゃんマン どんな時にそうお感じになられるんですか?

大アさん 例えば、ちょっと用事があって事務所へ寄った時、僕が妙にもじもじして立てりゆうとねえ、気がついた社員さんが向こうからぱっと声掛けて来てくれるんですね。それと最近は特に、重い精神障害のある青年がしょっちゅうアポなしで私に話にくるんですが、その青年を私の時間が空くまで下で長いこと待たせて下さったり。彼は意思疎通がなかなか難しい青年なんですが、若い女性の社員さんもみな理解して親切に接して下さります。そんな時、本当にありがたいなあと思うんです。

−せいちゃんマン それは、当社にも障害を持った社員の方は何人もおりますし、たんぽぽさんに出入りする方々と関わる中で、何となく社員みなの心が育ってきているのだと思います。当社では、そういう精神障害を持った方も採用していきたいという思いがありますから、社員さんもどんな障害を持った方でも違和感なく自然に受け入れる事ができるようになっているのかなと思います。それができる社員さんは多分どこの現場でも人に優しくできると思いますので本当にありがたい事です。それもこれもたんぽぽさんのお陰。当社にとってたんぽぽさんはもうなかったら困る空気のような存在になっています。

大アさん ありがとうございます。多少でもお役に立っていたら嬉しいのですが。ただ最初の不登校の話に戻るとね、不登校はじりじりと増えています。国も県も市町村もいろいろな対策を講じてるんですけど減りません。高知県では、心の教育センターや、高知市では教育研究所も非常にしっかりしていて一生懸命にやってくれているんですが、フィーリングが合う合わんがあるんですね。子どもさんによって親御さんによって。ほかに私設のところでは、はまゆう教育相談所という老舗の教育相談やってるところもあります。そこに、私のところもある。こういうのは、窓口がたくさんあるほど、マッチングもしやすい。あそこへ行って傷ついたけれどこっちで救われたということが出てきます。ですからそういう意味では、ここも多少お役に立ってるかなあとは思いますね。

−せいちゃんマン 大アさんは県職員でおられた頃から、詩人としての創作活動も長く続けておられます。ここに来て下さってからも詩作の他、大アさんならではの優しい観察眼で優れたエッセーを発信し続けていらっしゃいます。カウンセラーとしての大アさんと、詩人、エッセイストとしての大アさんがうまくバランスをとられているようにお見受けしますが、その辺りはどうなのでしょうか?


たんぽぽ教育研究所は絶えず訪問者の方々が持ってきてくれたお花や手づくりの品であふれている。花びんもペットボトルなど簡素なもの。このお花は、道端に咲くハルジオンと、庭に咲いていたのであろうヤマボウシの、どちらも白い花

大アさん そうですねえ。詩人の方は、もうだいたい自分の才能に見切りがついたのであんまり執着はありません。ただね、カウンセラーとしてはまだ成長していかねばならない、成長の可能性があるという事をうんと感じてます。初めはね、カウンセラーという事では俺は完全に詐欺師やと思うていたんですが、この1年2年ぐらい前からですね、どうも俺は本物になってきたと思う時が時々あるんですね。そういうと少し言い過ぎかもしれませんが、まだカウンセラーとしてはもっと成長していけるかもしれない、と本気で思うんです。例えば、さっきも言いましたが、今一人、しょっちゅうアポなしで飛び込んでこられる、ご病気の程度でいうと最重度というような感じの青年がいるんですね。彼、いつ来ても、こんにちは、おはようございます、もなく、いきなり本題に入ってそれは喋りまくるんですね。しかし彼の話は、普通の、僕らの世界の言葉の論理では理解不能なんです。それがもう何十回も面接して聞いてる内にですね、近頃何となくですが、だいぶ分かってきだしたんです。彼語≠ツまり彼の言葉が、1割方位分かるようになってきた。意味不明の言葉で語られる彼の主張ですが、ちゃんとキーワードも出ている。そこに彼の怒りとか、やり場のなさが感じられるようになったんですね。

−せいちゃんマン そうですか。それは、大アさんに気持ちが通じて彼は嬉しいでしょうね。彼にとって大アさんが、そしてたんぽぽが本当になくてはならない、心のよりどころになっていることでしょう。

大アさん ここでちょっとドラマティックな話をしましょうか。あのですね、僕は72歳にもなってね、まだ人生に迷う時があるんですが、その時に相談できる人が一人おるんですね。それは、何を隠そう、中澤社長なんです。いや別にゴマするわけやないですが。僕が困ってメールで問い合わせたら、瞬時にパーンとねえ、お返事が返るんですけどね。それがいつも僕の想像をはるかに上回る、ラジカルなお返事なんです。その一回は、学校で子どもさんがいじめにあって苦しんでいるお母さんが相談に来られたんですが、その子どもとお母さん、何も悪くないのに、学校からまるでクレーマーのように言われて、泣いておられた。これは放っておけん、と思って、いじめた子の父親に僕が手紙を書いて訴える手段に出たんですが、ちょっと難しい案件で、もしかすると、僕が手紙を出した事で、ここを提供して下さっている四国管財さんにまでご迷惑をお掛けする事になるかもしれない。しかし、もしそうなった時には、僕、速やかにここを畳んで引き上げますから、と中澤さんにメールで問うたんですよね。そしたら、すぐに返事が来て、なんの問題もありません、大いにやって下さい、という激励が書いてありました。いやあ心強かったです。

−せいちゃんマン それは恐縮です。でもあの場合は当然の話です。その子どもとお母さんは何も悪くないのに、理不尽な目に遭っていたんですから。それで、その問題は良い方向に向かいましたか?

大アさん ええ。僕が書いた手紙をそのいじめた子のお父さんは読んだと思うのですが、それで状況が変わるという事はなく、いじめられた子どもさんは学校へ行けないまま研究所に通われてもう高校生になられていますが、お母さんもちょっと心の病気があって、今も悪戦苦闘が続いているようです。時々連絡があるのですが。

−せいちゃんマン そうですか。それはちょっとショック、残念ですね。しかし、人生まだまだ終わりやない。これからですから。そういう、辛い思いをした人にいつか花を咲かせてもらいたい。生きちょって良かった、と思ってもらいたいですね。うちの会社も、そのための会社にしたいと思うてます。

大アさん そうですね。本当に生きちょって良かったと思うてもらいたいと思います。しかし、話は戻りますが、他にも、これはちょっと困った、自分ではよう判断しきらんという時にね、中澤社長に頼むと、僕が想定しちゅうよりもはるかに過激な激励を頂けるのでうんとありがたい。これからもそんな場面があると思いますので宜しくお願いします。

−せいちゃんマン 僕の場合、今の僕の脳みそではこれ、と思うたらそれを責任持って言うべきと思うちゅうんですね。そういう人間なんです。でもそれは裏返したら、カウンセリング力がいかに低いか、という事にもなります。判断のスピードが遅い人にはイライラしてしまいますし、社員さんの中には2カ月も3か月も一緒に考えちゃって答えがほしい人もおるのに、そういうのが非常に苦手。すごく向いてない。だからこそ、たんぽぽさんが絶対に必要なんです。大アさんが丁寧に聞いて、一緒に悩んでくれる事で救われる社員さんがいっぱいいます。なんといっても大アさんの一番凄いところは、人を肩書きでみるのでなく、誰に対しても同じく接されるところ。議員さんの肩書きとかそういうレベルじゃないほんとの大切なところでみる。だからこの世で仕事がみんななくなったり肩書きがとんだ時、一番尊敬される人じゃないでしょうか。そして大アさんの体は一つしかないけど、そのスピリットが社員さんに伝わって、全員が肩書き関係なしに、誰かの悩み苦しみに寄り添える。A子ちゃんの悲しみを分かってくれる同僚や上司がおる。そういう人が集まっちゅう。そんな会社にしたい。売り上げには結びつかん部分かもしれませんが、そっちの方が大事やと思うています。それに大アさんをみていると、ご自身のお子さんが「心の病気ということもあってご家庭も大変でいらっしゃると思うのに、僕からみたら、いつも心が安定されている。本当にすごい人、大物だと思います。

 今ほど幸せなときない

大アさん いやいや、大物なんかではないですよ。ただ、そうですねえ、我が家の状況は確かに絶望的なんですけどねえ。今の僕はなぜか、不思議な幸せに包まれているんですねえ。不思議な事に。今ここで、困った人達の話を聞いてる。それで頂いている報酬は不思議な幸せなんですねえ。皆さんが野菜やらお花やら、貯金箱に貯めたお金やら色々な物を持ってきて下さる。そんな人が色々あちこちにおいでる。毎日、本当に、不思議な幸せを頂いてます。意思疎通のできない若者とお話ししてお見送りする時もね、凄く不謹慎ですけど、ああ俺幸せだなあと思うんですねえ。実は、今朝、娘が、お父さん、嫉妬を感じた事ある?と聞くので、そうやねえ、お父さんは県を退職した時も、どこかに天下り先を用意してもらえるような話は一つもなかったからねえ、と答えたんです。そしたら、娘は、自分のためにお父さんはそうなった、お父さんは私のために不幸になってしもうたんじゃないか、と滅入り込んだ様子で言い出して困ったんですがね。それは違うよ。お父さんは爽やかに生きてきたから天下り先がなかったんだよ。そのお陰でたんぽぽへ辿り着いたんだから、と。そしてお父さん、今ほど幸せな時はないよ、いうて言うたんですけどね、アハハ。自分はもう遠からず死んでいく。障害のある子供が二人おる。それでも本当にそんな心境、ここで毎日不思議な幸せを感じているんです。

−せいちゃんマン 今ほど幸せな事はないよと娘さんに言えるのはすごい素敵な事ですね。やばい。想像しただけで涙が出そうです。しかし、それだけ本当に人の役に立っちゅうからこそ、そう言う事ができるんでしょうね。人間、それが一番の充実なんでしょう。人の役に立つという事は。僕もそんな会社にしたい。まだまだ給料も凄く安いですし、いろいろ問題もありますが、どんな障害があっても働ける会社にしたい。障がい者の助成金がなくなっても大丈夫な仕組みもできるところから取り入れていきたいと思うてます。そのためにもたんぽぽさんとずっと一緒に成長させて頂きたい。どうかいつまでもここにいて下さい。これからも何卒宜しくお願いします。今日は本当にありがとうございました。

大アさん こちらこそこれからもお世話になります。どうか宜しくお願いします。今日は中澤社長と改めて色々お話しできて楽しかったです。本当にありがとうございました。


「(人生で)今ほど幸せなときはない」と笑顔で語る大アさん


大ア博澄(おおさき・ひろすみ) 1945年吾川郡池川町に生まれ定時制高校、通信制高校、夜間高校、夜間大学に学び、1967年、高知県庁職員に。2002年4月から2010年3月まで、高知県教育長として小さな弱い人を守るという教育哲学のもとに異色の教育行政を展開。2010年4月から、不登校、いじめ、障害などに悩む子ども達や保護者、教職員を支援する「たんぽぽ教育研究所」を設立、詩人・エッセイストとしても文学活動を再開。休日は山の畑をのどかに耕している. 著書に、「山畑の四季」(高知新聞社)、「子どもという希望」(キリン館)、「詩集・人生の扉は一つじゃない」「生きることの意味」などがある。

たんぽぽ教育研究所とは・・・ すべての子ども達が、私達の住んでいる社会全体の希望です。すべての子どもたちが、心豊かに育ってほしい。 そのために、人々のやさしさが路地裏の隅々にまで息づいている、あたたかい地域社会が必要です。 そのために、私達ひとりひとりの小さな意思、小さな勇気を積み重ね、市民のゆるやかであたたかいネットワークを創りたい。たんぽぽ教育研究所はそんな人々の心の拠り所になることを目指しています。


本社4階の一室にあるたんぽぽ教育研究所。いつでもどんなときでも優しく出迎え、 大アさんが美味しい珈琲をいれて下さいます。
・子どもの気持ちに寄り添う教育相談・カウンセリング
いじめ、不登校、心身のハンディキャップ、学力、進路など、教育に関するすべての悩みをお聴きします。解決はできないかも知れませんが、精一杯サポートします。
・居場所・フリースペースの開設
子ども達や障害のある方、保護者、教職員、誰もがちょっと心を休めたい時、ふらっと立ち寄れる居場所を提供しています。
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月曜から金曜の午前9時から午後5時まで開店
電話予約をいただければ、休日も対応しています。
電話 088-855-4546 E-mail : osaki@tanpopo-k.net 携帯 090-7626-3543

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