高知のお正月
父は、晩年、よく家でおきゃく(宴会)をしていました。お正月ともなると、近所の人、会社の人、親戚、友人、知人などが集まってきて、大宴会が繰り広げられたものです。子どもの私にとっては、お年玉がゲットできる大事な時であり、非常に気合が入る時でもありました。
かつて高知では、おきゃくを想定して、襖(ふすま)をはずせば二つの部屋が一つの大部屋になるような構造の家が多かったように思います。築三十数年の私の家にも宴会部屋と呼んでいた部屋がありました。
おきゃく部屋では、皿鉢(さわち)料理と大量のお酒が振る舞われます。子どもの私は、お酒を運ぶ係、親戚の女性陣は台所をサポートする係でした。
このどんちゃん騒ぎの中、絶妙のタイミングで、おじちゃんたちは私にお年玉をくれました。中身をその場で見ると失礼ですから、こっそり部屋を出て、中身を見てニヤニヤした覚えがあります。大体、当時2000円が相場でした。もし、3000円が入っていようものなら「よっしゃー!OK」とガッツポーズものでした。お年玉をくれたおっちゃんに「お酒をもっと注いだろう」と思ったものです。
一方、料理を振る舞う女性陣は忙しそうでした。うまくできたもので、皿鉢料理というものは人数調整がしやすいのです。人が途中で退席したり、加わったりしても柔軟に対応ができます。というのは、別の部屋にも皿鉢料理が用意してあり、宴会部屋の料理が減ってくると、別の部屋から皿鉢料理を運んできて、いつでも補充できるからです。ですから宴会部屋に次から次へとお客さんが出入りしても「はい、はい、いらっしゃい」と臨機応変に対応できたというわけです。
おきゃくでは、皿鉢料理だけでなく、その家の家庭料理も振る舞われます。例えば、自家製のおいなりさんです。その家庭の味が楽しめるのもおきゃく文化の楽しみです。
そして、宴会の締めは甘味です。ぜんざいやみつ豆が用意されています。お酒を飲むとなぜか甘い物がほしくなるからです。これは脳の働きに関係があるとか、ないとか。
長―い宴会が終わると、辺りはすっかり夜のとばりにつつまれています。交通事情がそれほどよくなかった時代ですから、そのまま私の家に泊まっていく人もザラでした。
「泊まっていったら?」
「ではそうしましょうか」
と、自然な流れでお客さんが泊まっていきました。ですから、わが家にはいつでもお客さんが泊まれるように、客用の布団が10組以上用意してあったものです。
今考えても、あれはあれで楽しかったなあと思います。私も父のマネをしてお正月に社員さんを誘っていた時期もありましたが、なにせ仕事が3K(きつい、汚い、危険)のようなものでしたから、休みもろくにないのに、正月も経営者の家に来いというのはおかしいのではないかと思うようになり、お正月の行事は止めにしました。代わりに、社員さんからのお呼ばれがあれば、私が出掛けて行こうと思いましたが、ほぼそんなことはありませんでした。
私としては少し残念ですが、お正月に社員さんが家族とくつろいでもらえていると思えば、それはそれでよかったのかなあと思います。