新手の風俗と勘違いされる(家事代行業その2)

ミニメイド・サービスさんからいろいろ勉強させていただきましたが、同じシステムにするのは難しいと思いました。大都市圏と高知県とでは所得が違うからです。1時間9000円は高すぎます。
そこで、3名体制ではなく1チーム2名体制にしました。1人体制にしなかった理由は、相互チェックができないため、汚損、破損、盗難、紛失などの嫌疑をかけられた際に、きちんと対応できない恐れがあることと、知らない人の家での作業となるため職員の防犯対策が必要だからです。料金は、2名1組の派遣で、1時間当たり5000円とし、最低金額1万円から承ることにしました。
社名は、ホームメイドサービスに決めました。さあスタートです。勇んでテレビCMも打ちましたが、まったく反応がありません。新聞折り込みも30万枚ぐらいまきましたが、1、2件しか問い合わせがありませんでした。思った以上に、高知では、家事代行サービスという仕事は認知されていなかったのです。
その一方で、職員の応募はたくさんありました。時給500円台前半ぐらいの時代に、時給1000円で募集したため、80人以上が応募してきました。非常に面接が大変だった覚えがあります。応募者は、お掃除会社に応募してくる人とはまるで違っており、私はまったく違う業種を始めたことを実感しました。
草創期で最も大変だったことは、会社の方針で困難な新規事業に挑戦しているにもかかわらず、社内での理解がまったくなかったことです。たかが家事代行なのに時給が高いと批判され、同僚からの協力が一切得られず、孤立無援状態でした。何から何まで一人で考えて、実行していかなければいけません。
さて、職員は集まりましたが、肝心の仕事の依頼がありません。テレビCMも新聞折り込み広告も空振りし、立ち上げてから3カ月ぐらいは、ほとんど仕事が入りませんでした。
営業をしたくても、私はずっとお掃除しかしてきませんでしたから、どうやればいいのかわかりません。そこで、知り合いに頼んで、営業のやり方を教えてもらうことにしました。
「まずは一緒にこい」と言われ、営業に同行させてもらい、お客さまとのやり取りを勉強しました。その人は「いいか、お客さまにはあのように話すんだ」と丁寧に教えてくださいましたが、そもそも社会人経験が浅い私は、人と話すことすら苦手でした。「ああしろ、こうしろ」と教えられるほど、わからなくなって自信をなくしていきます。
次に、別の人のつてで、居酒屋「村さ来」の店長さんを紹介してもらいました。ここで、大変ありがたいアドバイスをいただくことができました。
店長さんから「ちょっと営業トークをやってみい」と言われ、家事代行サービスについて説明したのですが、「君の言っていることはさっぱりわからない。全然伝わってこないよ」「君、その作業をやったことがないでしょう?」と言われました。
「はい、まだ仕事がないもんで作業できていません」
「だからだよ、だから伝わってこないんだよ」
この瞬間、なぜ営業がうまくいかないのかハッキリわかりました。実体験がないため、私の言葉に説得力がなかったのです。
それから何をしたかというと、知り合いに無理やり頼み込んで、無料で家事代行サービスをさせてもらいました。
さすがに「無料ならば」ということで仕事の機会を得ましたが、それでも人の自宅に上がらせてもらうのは大変でした。奥さまは、それほどわけのわからない業者を家に入れることに抵抗感を抱いていたのです。それでも、なんとかお願いして50軒ほど家事代行サービスをさせてもらうことができ、次第に作業手順をつかんでいきます。しかし、最後はいつも「この値段じゃ高いよ」と言われました。
ある日、自宅で夜に宴会をするという方がお手伝いに来て欲しいという相談がありました。高知では、当時、自宅で宴会をする人が多くいました。私は、その家のご主人に「2名で2時間お手伝いならば原価でいいですので時給1000円でお願いします」と言いました。もうけなどまったくない値段です。それでも、「たかが宴会の手伝いに、時給1000円払うなんて納得できない」と、かなり厳しいお叱りを受け、その仕事は利益0円でも請け負えませんでした。
主婦の労務時間をお金に換算する家事代行というサービスは、今までなかったサービスです。まったく世の中に認知されておらず、なかなかサービスの価値が伝わりません。
ある時、家の網戸の見積もりを頼まれました。夕方ご自宅にお伺いすると、「今、夕食中や、待っちょけ」と言われ、外で1時間も待たされました。
網戸を見ると、3万円ぐらいもらっても安いぐらいでしたが、当時はどうしても仕事を取りたかったため、「超破格の5000円でやらせていただきます」と言いました。すると、「たかが家の網戸で5000円も取るんか! 何を考えてんの?」と叱られ、1時間ぐらい説教されたあげくに、仕事ももらえませんでした。
家事代行サービスは、お客さまからみると「たかが・・・」と思われている仕事だったのです。この仕事の難しさをいやというほど味わいました。私は、この仕事を経験して、まったく無の状態からモノをつくっていくしんどさを勉強しました。この経験は、後々、私の最大の強みになっていきます。
最後に判ったのは将来の為に上司があえて全部やらせてくれていたのです。
さて、失敗を繰り返しているうちに、自分なりに営業トークを工夫していきました。しかし、それがまた失敗を生みます。これも笑い話ですが、「トレーニングした主婦2名が2時間1万円ですよ」とセールスしたら、新手の風俗と間違えられました。本気で風俗だと思って電話してきた人もいました。「うちは違いますよ」といくら言っても、「またまた、そんなことを言って」と言われ、説明すればするほど、誤解されました。
もう、どうしたらいいのかわからなくなりました。途方に暮れて、たった一人、商店街でビラを配っていたことを思い出します。
ビラすら受け取ってもらえず、しどろもどろでお願いする私の姿を会社の同僚が見ていました。あまりのみっともなさに、他人の振りをしたと言われました。
おまけに、ビラを配っていたら、甘栗屋のおばちゃんに「じゃまや! うちの店の前でやるな」とひどく叱られました。「許可をもらっているのか」とも言われ、「えー、ビラを配るのに許可がいるんか?」。私は何も知りませんでした。すぐに、ビラを配るのに、誰にどんな許可をもらったらいいのか調べました。
何から何まで、一人で考えてやっていましたから、わからないことだらけでした。それでも、社名のデザインからビラのデザインまですべて自分一人でやらせてもらいました。会社の登記もやりました。
登記した際、司法書士の先生から「このサービスは中国四国地方で初めてだよ。これはいけるよ」と励まされました。一番苦しい時だったので、その言葉は心に残っています。しかし、現実は甘くなく、全然うまくいきません。
(その3に続きます)