夢はかなう(その2)

大嶋さんの協力を得られることになりましたが、問題は、どうやって高知商業さんにアプローチするかです。高知商業さんには、10年ぐらい前に講演に伺ったことがあります。3時間ほど、先生方にお話をさせていただき、感動ムービーを創るお手伝いもしました。しかし、なにぶん10年も前のことです。当時の先生方は転勤しているでしょうから、その線からのアプローチは難しいと思いました。かといって、いきなり「甲子園へ行くためのお手伝いをさせてください」と突撃するのもうさんくさすぎます。
どこかにご縁がないものかと、いろいろ情報発信をしていたら、知人の学校の先生が、野球部の上田監督のお嬢さんをご存じだということがわかりました。その先生は、「夢かなうよ系」をご理解いただいている方でしたから、その先生を通じて上田監督にアプローチしていただきました。「怪しくない人間が、ちょっと行きたいと言っていますので会っていただけませんか」と、怪しい話を上田監督にしてくださったところ、面会していただけることになりました。
私は、早速上田監督にアポを取って、監督に会いに学校へお伺いすることにしました。上田修身監督は、高知商業が春の大会で優勝した時の主将で、1980年春夏甲子園に連続出場し、春の選抜では優勝の栄冠を勝ち取りました。日本体育大学卒業後は高知県の公立中学校で指導者を務め、高知市立城北中学校の監督時代の教え子には藤川球児さんがいます。藤川球児さんが上田監督のことを「恩師」と言うほどの名監督です。2015年からは母校 高知商業高校の監督を務めています。余談ですが、なんと私と同じ年でした。

その日、私は大嶋さんの本を何冊か持って上田監督を訪ねました。監督はお忙しいので、あまり長い話はできませんでしたが、「もしよかったら、1日だけ練習時間を空けていただき、この本の大嶋さんの話を聞いてもらえませんでしょうか」とお願いしました。私はかなり緊張していたと思います。すると、上田監督は「なんか、うちの部長が大嶋さんのことをよく知っているみたいですよ。ぜひともよろしくお願いします」と、あっさり快諾してくださいました。「えー、本当に?」みたいな展開でした。

さて、大嶋さんが高知商業高校に入るその日、なんと間が悪いことに、私は出張が入っており、その歴史的な日に立ち会うことができませんでした。当日は、当社の社員さんに頼んで空港と学校までの送り迎えなど、全てをサポートしてもらいました。
上田監督は、貴重な甲子園の予選前の練習を取りやめて、4時間ほど野球部員全員と大嶋さんのセミナーを受けてくれたそうです。セミナーでは、「甲子園に行きました!」と「予祝」(前祝い)をしました。
後から聞いた話によると、野球部員たちは、その日を境に、「気持ち悪いくらい変わった」そうです。何かテンションが上がって、もう全然、喋(しゃべ)る言葉と行動が変わったといいます。全員で夢を引き寄せたのです。
しかし、当時、高知県には最大の敵である明徳義塾高校がいます。しかも、市川悠太投手を擁していました。市川投手は、ほとんど失点がないというくらいの選手です。歴代の明徳義塾高校の中でも、史上最強のチームに仕上がっていました。これを倒さなければ甲子園に行けません。
私は、いろいろな人に「今年は、高知商業が甲子園に行きます。見ていてください」と言いましたが、誰も信用してくれませんでした。知り合いの高知商業のOBの方にも話しましたが、「何をそんなバカなことを」と失笑をかいました。OBの方は野球関係者なので、この時の明徳義塾高校の力をわかっていたのでしょう。

誰も高知商業が甲子園に行くなんて信じていない中、高知商業の神がかった快進撃が始まりました。なんと、おっそろしいくらい打ちまくったのです。上田監督は、明徳義塾を倒すためには、守っているだけでは勝てないと考え、打力の強化も行っていました。
こうして高知商業は県大会をどんどん勝ち上がり、準決勝は高知高校との対戦です。ここに勝てば、いよいよ明徳義塾高校との対決です。
その高知高校戦を前に、大嶋さんから電話がかかってきました。大嶋さんは、セミナー以後、ずっと梶原野球部長さんと連絡を取り合っており、いろいろアドバイスをしてくれていたそうです。
「中澤さん、次に勝てば決勝。いよいよ甲子園が見えてきましたよ。そこで相談があるんだけど、食欲が出ると脳が活性化するから、ピンチになったら伝令を出して、『このピンチを切り抜けたら全員に焼き肉をおごるよ』と言おうと思うんだ。しかし、部員は90名ぐらいいるから、おっそろしい量の焼き肉になるんじゃないかと心配で。そこで、申し訳ないけど中澤さん割り勘でいい?」
「そんなの全然OKですよ。2人で盛大にご馳走(ちそう)しましょう!」
私は、「よっしゃあ、貯金を下ろすぞ!」みたいなノリで気合を入れました。
(その3に続きます)