先生の姿勢(後編)

先生がロンドンに立ってから十数年の月日が流れました。
それは、私が、社員さんの結婚披露宴に出席したときのことです。ご親戚の席に藤井先生がいらっしゃるではないですか。うれしくなって、ごあいさつをしたところ、先生も私のことを覚えていてくださり、しばし当時の話に花が咲きました。懐かしさとともに、先生の器の大きさを改めて感じました。いつの間にか、私は、先生に仕事で難儀していることを相談していました。

「予定表といって、現場の人員シフト表を作っているのですが、これがなかなか大変なんです」
「何が大変なんだい?」
「誰かが休んだら、誰かに代わりに入ってもらうのですが、それを誰にするのかが大変なんです」
「どうして?」
「経験したことのない現場に入ってもらうわけにはいかないので、Aさんはどこの現場を経験しているから、この現場はできるけどあそこはできない、という具合に人の経験値と現場を組み合わせる必要があるんです。これがなかなか大変なんです」
「そういうことか。中澤君、世の中は数学で解決できないことなんてないよ。簡単に解決できるから教えてあげるよ。お金はいらんから、今度私の学校にきなさい」

先生は、ロンドンから戻られて、高知工業高等専門学校(高知高専)の教授をしていました。私は、早速、高知高専を訪れました。
先生は、独自に開発したソフトを見せてくださいました。それは複雑なシラバス(先生が生徒に示す授業計画)を、条件を入力するだけで、あっという間に何十種類も作れるという魔法のソフトでした。従来、シラバスの作成は大変だったようで、授業の枠取りをめぐって、ああでもない、こうでもないと、何度も作り直しをしていたそうです。そこで、藤井先生が手を貸して、シラバス作成を法則化したソフトを開発したのです。
先生は「中澤君の会社の人員シフト表も法則化すればいいから、その作り方を教えてあげるよ」とおっしゃってくださいました。私は、当時、パソコンを使えませんでしたので、新卒のパソコンを使える男性社員さんに、その習得を任せることにしました。
こうして、社員さんに、私の代わりに先生の学校に通ってもらったのですが、学校まではかなり距離があり、時間がかかる上に、その社員さんの日常業務に配慮することなく、無責任に「後は頼むでー」とやったものですから、結局、うまくいかずこの話は立ち消えになってしまいました。

それから30年ぐらいがたちました。以前ご紹介した窃盗疑惑を晴らしてくださった先生の褒章パーティーに参加した際、またもや藤井先生にお会いしました。「先生あの時はすいません。私の本気度が足りなくて申し訳ございませんでした」とおわびしたところ、先生は「ああ、覚えとるよ、途中でうやむやになっちゃったな」と笑いました。
私は、人員シフトの作成に相変わらず難儀していましたので、恥かきついでに「もう1回チャンスをいただけませんか」とお願いしました。先生は「いいよ」と快諾してくださり、再び先生とのプログラムづくりが始まりました。
その時、先生は80歳を超えていましたが、頭の回転はあいかわらず速く、まったく衰えを感じません。私はプログラミングができませんので、今回も本社のスタッフに実際の作業を頼みました。
ここで、また私は大失敗をやらかします。専属部門をつくって、そのことに専念できるようにしてあげればよかったのですが、そうしなかったため、時間がかかったばかりか、その社員さんにはかなり負担を強いることになってしまいました。それでも、2年間がんばって続けてもらい、なんとか8割くらい完成しました。それは、おそらく日本発となる、社員さんの成熟度に応じて人員のシフト表がつくれる仕組みでした。DX化と言ってもいい内容でした。
あと、少しで完成というところで、私は社長を退任することとなりました。このプログラミングづくりは、経営者の思い入れがないとできませんし、継続すると新体制に負担をかけることになってしまいます。自分が陣頭指揮を執れなくなった時点でプログラムづくりは断念せざるを得ませんでした。私は、社長として挑戦したことは、ほぼかなえてきたつもりですが、この件については、中途半端で終わってしまいました。
 後日、先生は「1人、中澤君に紹介したい子がおるんよ。将来のある子で、中澤君と同じ歳や」とおっしゃって、ある人を紹介してくださいました。その人は、帰国子女でした。先生がロンドンの日本語学校で教えていた時の生徒で、優秀さのレベルが違いました。今は、IT企業を立ち上げて、高知にもオフィスを構え、かなりの業績を上げています。間もなく上場もされると思います。
先生は、どこの国で教えていても、教える子の偏差値が違っていても、そんなことはまったく関係なく、誰にでも同じように接していました。先生の、「誰にでも同じように接する」その姿勢は、今も、私の心に深く刻み込まれています。

※写真は本番前の緊張ほぐして