クリニクラウンへの挑戦(後編)

クリニクラウンのオーディション当日を迎えました。私は妙な自信とやる気にあふれていたことを覚えています。
実技と面接がありました。実技試験はペアとソロがあります。ペアは、無作為にパートナーを決められ、打ち合わせなしにヨーイドンでパフォーマンスが始まります。時間は5分間です。たくさんのおもちゃが置いてありましたが、それを使っても使わなくてもかまいません。
 ソロは、1人3分間で、自由にパフォーマンスします。いろいろな人がいました。歌を歌う人もいれば、自分の体験を話す人もいます。ピン芸人のようにしゃべりとアクションで笑わす人もいました。私はというと、立派に膨らんだおなかをポンポンとたたいてタヌキのマネをした覚えがあります。素人の宴会芸のレベルですから、当然ウケませんでした。
面接では応募動機やクリニクラウンでやりたいことなどを語りました。クリニクラウンの活動は、病院を訪問し、パフォーマンスして、それで終わりではありません。訪問後に、きっちり、みっちりリポートを書かなければいけません。「こんなにリポート書くんかい?」というぐらいのリポートが求められます。筆記では、記述内容は当然のこと、文章力や文字の丁寧さなどもみられます。
私のことをご存じの方ならよくおわかりのように、私は国語力0点で文章は支離滅裂、字も信じられないぐらい汚いですから、今にして思えば合格するはずがありません。それでも、その時は「なんとかなるだろう」と信じていました。
オーディションの日は、カリスマ的クリニクラウンの“トンちゃん”こと石井裕子さん(JCCA理事/クリニクラウンチーフトレーナー)の話も聞くことができました。彼女のクリニクラウンへの思いとか、映画「パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー」のモデルになった方がまだご存命で来日したことがあるという話を聞きました。
トンちゃんは、「クリニクラウンというのは、道化師の格好をしてパフォーマンスする人だけをいうのではなく、その人たちの旅費を出したり、空港から病院へ連れて行ったりして、いろいろお世話する人もクリニクラウンですよ」ということも教えてくれました。

1週間後、JCCAから手紙が届きました。結果は、見事な「不合格」。私は、絶対に通ると思っていましたので、「えー、ちょっとウソやろ。世の中厳しいなあ」と思ったものです。
ふと、オーディションの日にトンちゃんから聞いた話を思い出しました。すぐJCCAに電話をかけて、「すいません、試験に落ちましたが、いろいろ支援をさせてくれませんか」とお願いしました。
話をしていくうちに、予算がないため、四国にはクリニクラウンを呼べていないことを知りました。
将来的には、「四国管財の社員さんがクリニクラウンの資格を取って、四国管財の社員が小児病棟を回れたらいいなあ」と思っていますが、まずは、スポンサーとして支援させていただくことを申し出ました。
ちょうど、高知大学の医学部が、「年に1回クリニクラウンを呼べるかどうかの予算しか取れないために困っている」という話を聞きました。「それなら当社に1回分負担させてください。それで年2回クリニクラウンを高知に呼びましょう」と申し出て、高知にクリニクラウンを呼ぶことができました。その活動は8年ぐらい続いています。
訪問先は小児病棟で重い病気と闘っている子どもたちです。最大限の感染対策が求められます。今、コロナ禍で活動は中止していますが、コロナ禍前も、少しでも微熱があったり、風邪をひいていたりしたら病院に入れませんでした。私も、1年目は空港からクリクラウンを病院にお連れして、また空港へお送りすることしか参加できませんでした。
2年目は、小児病棟に入れてもらうことができました。空港にお迎えに行ったら、クリニクラウンの2人は、真面目そうな青年と地味な女性の人で、全然派手さがありません。人前でパフォーマンスをやるようには全然見えない2人でした。「えー、大丈夫かなあ」という私の心配をよそに、2人は病院で衣装に着替えてスタンバイしました。
見ると、小道具をほとんど持っていません。ますます不安になりました。テレビで見たホスピタル・クラウンとはだいぶ違います。クリニクラウンは表情、会話、動きで子どもたちを笑顔にすることを知りました。
さあ、オンステージです。クラウンたちは病室に入って行きます。私は、感染予防から病室の外からその様子をガラス越しに見させていただきました。この段階で驚いたことが二つあります。一つは、小児病棟にはさまざまな病気と闘っている子どもたちがたくさんいることです。私はそんなことも知りませんでした。もう一つは、子どもたちが本当にクリニクラウンが来るのを楽しみにしていたことです。
クラウンが、コンコンと扉をノックして病室に入っただけで、子どもたちの表情がパッと明るくなります。とても信じられないくらいの満面の笑顔になるのです。パフォーマンスをしている最中は、ずっとゲラゲラ大ウケで、どの子も楽しそうにゲラゲラ笑っています。
クラウンは「バイバイ、また会おうねー」と言って、次の病室へ行き、また同じことを全力でパフォーマンスします。私は、一つの病室を見ただけで、体力と気力と神経を使い果たし、グッタリしてしまいました。大変な気づかいをしたからでしょう。「クラウンたちは、こんなことをすべての病室を回って延々とやるのか!?」。
パフォーマンスは3時間ぐらい続いたと思います。私は、見ているだけで疲れてしまい、30分ぐらいで病棟から出てしまいました。それぐらいクラウンたちの「本気の度合い」はすごかったです。全然レベルが違いました。JCCAの事務局の人が言った、「遊びじゃできませんよ。本気じゃないと無理だよ」という言葉の意味が、この時わかりました。私は、生半可な思いでクリニクラウンになろうとしたことを反省するとともに、クラウンたちのプロとしてのパフォーマンスのすごさと、志と思いの高さに感銘を覚えました。
クリニクラウンが笑顔にしたのは、患者さんである子どもたちだけではないことを知りました。クリニクラウンには、子どもたちを笑顔と元気にすることで、その保護者や医療従事者も笑顔にするという使命があったのです。私には、この日の子どもたちのキラキラした目と笑顔、そして看護師さんたちのうれしそうな表情が忘れられません。

クリニクラウンたちの思いや、ちょっとした動きで子どもたちを笑顔にするパフォーマンスは、必ず三翠園でも役に立つと思いました。もし、三翠園の社員さんの中に、クリニクラウンになりたいという人がいたら、すごくうれしいですし、全面的に支援したいと思います。

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