足下を磨く

三翠園で働くことが決まってから、始めたことがいくつかあります。真っ先にしたことは、ホテル業の勉強です。関連する業界紙や雑誌を購読したり、星野リゾートなどホテル業に関する書籍を100冊ぐらい購入したりして、ひたすら読みふけりました。往々にして判断で迷う原因は、情報不足と経験不足です。現場に出る前に、できるだけ情報を入力しておきたいと考えました。
次に取り組んだことは、うまくいくための仕組みづくりです。言い換えるなら習慣づくりです。心と考え方は、日々の行動がつくります。どんな行動をするのかはとても大事です。そこで、朝起きてから寝るまでの理想の行動パターンをつくってみました。理想の行動パターンとは、「ウエルビーイング経営の実践」という目的を達成するために必要な生活パターンです。1日のすべての行動を、目的達成に照らしてどうすべきかを考えました。
それを毎日実践していきました。30日、60日、90日と続けていくと、次第に習慣になります。同時にカイゼンもしていきました。これでいいというものはありません。完璧を目指してカイゼンしていく過程こそが、目的と現実のギャップを埋めることにつながるのだと思います。この、目的と現状のギャップを埋める努力こそが経営です。
もう一つ、始めたことがあります。それは靴磨きです。これは、ずっと前からしたかったことですが、しんどくて逃げていました。
私のメンターの福島正伸先生は、よく「1番、苦手なことに挑戦しよう」とおっしゃいます。それが自分を成長させてくれるからです。私にとって、苦手なことは靴磨きでした。せっかちな性格なので、毎日、時間をかけて靴を磨くなんて苦痛でたまりません。
その半面、靴をきれいにしたいという思いは強くありました。気になって仕方がなかったのです。靴磨きは妻にお願いしていたのですが、どうも他の人の靴のような輝きが出ません。塗るだけで簡単に光沢が出せる靴クリームを使っていたせいか、朝は光っていても、午後になると光が落ちました。
これからはホテリエとして人前に出る機会が多くなります。私が汚れた靴を履いていたら、ホテルの印象が悪くなるかもしれません。私は、意を決して、苦手な靴磨きを習慣にすることにしました。前に、ブログで「千里の行も足下に始まる」と書きましたが、歩き出す前に足下をきれいに調えようと思いました。
まずは靴磨きをするための靴を買いに行きました。四国管財の社長を退任した際、冠婚葬祭以外の靴は全てスッキリ処分していましたので、ビジネス用の靴を持っていなかったのです。買った靴はREGALです。中学生時代にすごくあこがれた靴だったからです。また一つ小さな夢がかないました。
せっかちな私の買い物の特徴は、恐ろしいほどのスピードで購入することです。よく皆にびっくりされます。今回も、恐ろしい早さで靴を購入し、靴磨きの道具一式も買いそろえました。
家に帰って、靴磨きセットを開いたのですが、どう使ったらいいのかわかりません。しかし、最近は便利なもので、インターネットで調べたら、いろいろな動画がアップされていました。それによると次のように説明してありました。
①馬毛ブラシでホコリやチリなどのゴミを払い落とす、②クリーナーを布に付けて汚れを拭き取る、③乳化性クリームを塗り、革に潤い(水分と油分)を与える、④豚毛ブラシでブラッシングして乳化性クリームをなじませる、⑤布で余分な乳化性クリームを拭き取る、⑥ペネトレィトブラシで油性クリーム(靴墨)を塗る、⑦豚毛ブラシでブラッシングして油性クリームを伸ばす、⑧最後に、布で磨き上げる
 これで終わりではありません。ここから鏡面磨きが始まります。
⑨つま先とかかとにワックスを塗る、⑩ワックスが乾いたら布でワックスを伸ばす。この⑨と⑩を繰り返すことで鏡のような光沢が得られるのです。
ふと、床掃除のワックスがけと似ていることに気づきました。それなら、毎回クリーナーを使う必要はなく、靴墨も毎回塗る必要はありません。しかも部分的にやってもいいし、ワックスは重ねるほどきれいになります。「なんだ、床磨きと同じにやればいいんだ」と思ったら、気が楽になりました。
あとは、いつやるかです。理想は帰宅して明日の準備をしている際にすればいいのですが、つい忘れてしまいます。そこで、朝の短時間にできるように、道具の配置、攻め方などを考え、ついには3分ほどで、ピカピカの靴に磨き上げることができるようになりました。もし私とお会いする機会がございましたら、顔より先に靴を見てください。
ただ最近は久しぶりの革靴に足がついていけず凄い魚の目ができてしまい歩行も困難になってしまいドクターストップが掛かってしまい今は出番の時以外はスニーカーに戻しています。
ところで、靴磨きと同時に、もう一つ苦手なことに挑戦しようと思いました。それはピアノです。私を知っている方はご存じなように私はすこぶる音痴です。それでも、色んな宴会では、いつも景気づけにトップバッターで歌わされていました。「こんなヘタな人でも歌えるなら、私も歌おうかな」と思ってもらえるからです。しかし、実は、人前で歌うのが大の苦手です。トラウマ(心的外傷)になった出来事があるからです。30代の時に替え歌系を歌った時のことです。その場にいたご婦人からめちゃくちゃ言われました。それがショックで、それ以来、歌が大の苦手になったのです。いまにしてみれば、替え歌の歌詞自体がひどいもので、よくあんな場であんな歌を歌ったものだと反省しています。
テレビで漁師の方が独学で凄い技術を習得されたのを見てその超苦手な歌とピアノに挑戦しようと思いピアノのレッスンに通いだしましたが三翠園に勤務しだして今は少しお休みしています。