えっ、ライトバンですか!? ~塚越さんの来訪(前編)~

三翠園の社長就任時、とても多くの方からお花をいただきました。本当にありがたいことだと思っています。贈ってくださった方々との思い出や、ありがたさをかみしめています。そのお花の中に、私が尊敬する経営者の1人、伊那食品工業株式会社の塚越寛最高顧問のお花もありました。
塚越さんには、土佐経済同友会が全国大会を主催するにあたって、ご講演をお願いしていました。しかし、このコロナ禍で、ご高齢の塚越さんにご来訪いただくのはリスクが大きいとの判断から、残念ながらご講演は中止せざるを得ませんでした。

実は、塚越さんには、全国大会の前に開催された、経済同友会の西日本大会(高知開催)でご登壇いただいています。この時、塚越さんの招聘を実現したのは、人気漫画「釣りバカ日誌」の初代編集者で、ハマちゃんのモデルになったといわれている黒笹慈幾さんです。
大変、すてきな方です。高知へは釣りに来られたのですが、すっかり高知を気に入ってくださって、今は、高知に住んで高知県を元気にするための活動をいろいろされています。
その活動の一つに、大人の学び舎「熱中小学校」があります。このプロジェクトの縁で、黒笹さんは伊那市の「熱中小学校」で塚越さんとお会いし、「ぜひとも高知へ来てください」と口説いて下さったようです。塚越さんはご高齢で、最近は講演なども遠慮されているようでしたが、黒笹さんの熱意にほだされ、高知に足を運んでくださることになったのです。本当に夢のような話です。
しかし、その時、私は土佐経済同友会を退会していたため、塚越さんがお越しになることは知りませんでした。それを教えてくれたのは、当時、私が所属していた委員会の委員長、刈谷さん(税理士法人刈谷&パートナーズ)です。この刈谷さんも、黒笹さんに負けず劣らずの熱血漢です。
刈谷さんは、私に「中澤君、今度、塚越さんが高知に講演に来てくれることになったから、ぜひとも土佐経済同友会に復活しなさい」と迫りました。「退会して数カ月で復帰するのはカッコ悪いなあ」とは思いましたが、他ならぬ塚越さんにお会いできるのですから、恥を忍んで復帰させていただきました。

復帰した私は、塚越さんの接待役を申し出ました。早速、ご連絡して「高知空港にお迎えに行きます」と秘書の方に申し上げたのですが、やんわりでしたが、申し出はすべて辞退されました。華美なことを嫌います。

こうして塚越さんの来高の日となりました。この日は、伊那食品工業 岡山営業所の上田寛さんがわざわざ岡山から来られて、高知空港へのお迎えと、宿泊場所となる高知パレスホテルへのご案内を務められました。接待役の私の出番はありません。
私たちが高知パレスホテルで到着を今か今かと待っていると、商業車のライトバンがやってきました。見ると、塚越さんたちが乗っています。「えぇっ!!」。車を見た私たちは、思わず声をあげてしまいました。当然、黒塗りの車だと思っていたからです。まさか伊那食品工業の営業用ライトバンで来られるとは・・・。
社員さんの上田さんは、最高顧問をライトバンで空港までお迎えに行き、ライトバンでホテルまで送って来られたのです。私たちは、塚越さんと社員さんとの関係性や、塚越さんが大切にされてることを目の当たりにした思いでした。
塚越さんが到着した時刻は、夜の8時を回っていました。私は、「おなかがすいていらっしゃると思いますのでまずはお食事でもどうですか」とお誘いしたのですが、「いや、気を遣わんでいいよ。これまで貧乏してきたから、かけそばでも何でもいいし、近くのラーメン屋さんかなんかで勝手に食べるから、気にしないでいいよ」とおっしゃって、上田さんと2人でお食事に行ってしまいました。
なんだか申し訳ない気がしましたが、きっと、塚越さんは、上田さんと久しぶりに食事をしたかったのかもしれません。上田さんも、塚越さんと2人で食事ができて、うれしかったに違いありません。これはこれでよかったのかもしれないと思うことにしました。
こうして、塚越さんとの時間が始まりました。(後編に続く)
写真は渋沢栄一賞を受賞された記念品と伊那カントリー俱楽部で