いじめの連鎖
私が四国管財に入社した当時、社内は今でいうところのパワハラが横行していました。現場は、先輩が入社したての後輩をいじめて、いじめて、いじめ倒して、それをクリアした人だけが会社に残っていくという構図でした。最悪です。
そして、いじめに耐えて残った人は、次に入社した新人をいじめて、いじめて、いじめ倒していました。まさにいじめの連鎖です。この構図は、児童虐待(家庭内暴力)と似たものがあるように思います。
児童虐待に関しては、「子どものころに親から虐待を受けると、後年その人が親になったときに今度は自分の子どもに対して虐待を加えるようになるという虐待の世代間連鎖」が知られています。この点について、海外の研究では「虐待を受けて育った人間が親になったとき、全体の3分の1が自分の子どもを虐待し、他の3分の1は虐待せず、残りの3分の1は虐待に傾きやすい」という説があります。この数値の多寡は別として、一定程度、被虐体験が連鎖に影響しているといえそうです。
虐待の連鎖について別の見方をすると、「関係性の連鎖」といえます。虐待やいじめという強烈な体験・経験をすると、例えば「親子の関係はこういうものだ」という心理的な「思い込み」が生じ、脳に一種のパターンができてしまいます。このため、自分がされて嫌だったいじめや虐待を、その立場になったときに自分がしてしまうのだともいわれています。これは親子関係に限りません。親・子、先輩・後輩、上司・部下、などにも似た構造が見られます。
私は、中学1年生のときにクラブに入ったのですが、そこでの先輩の理不尽な対応が非常に嫌でした。ただ年が上というだけで優位に立ち、年下の立場の弱い人をいじめていたからです。2年生になると、その先輩たちは部活にあまりこなくなり、私たち2年生が先輩の立場になりました。しかし、私たちはいじめをせず、下級生と分け隔てなく部活を楽しんだものです。
高校では、中学校の経験があったので、3年生の先輩がいないクラブを渡り歩きました。どういうことかというと、1年生で入部しても、翌年はそこにいた2年生が3年生に上がりますので、必然的に1年、2年、3年とクラブを変えることになったのです。それほど、理不尽な被害に遭いたくなかったのです。
このように、ずっといじめを避けてきた私でしたが、会社ではいじめを避けることができませんでした。そこで、避けられないなら立ち向かっていじめをやめさせるしかないと決意したのです。
当時、社内のいじめは「仕事ができる」といわれている社員さんが多く起こしていました。職人気質も原因だったのでしょう。本人たちには、いじめている意識はなく、厳しく指導しているつもりでした。
いじめをする社員さんは仕事ができるため、お客さまの評判も上々です。注意したり、アドバイスしたりすると、「それなら辞めます」と言いました。人手不足の会社ですから、「辞めます」という言葉は伝家の宝刀だったのです。会社としてはベテラン社員さんたちに辞められると困るため、ずっと、すべて見て見ぬふりをして、犠牲者が退職していくのを見送っていました。
しかし「このままではダメだ」と腹をくくり、「いじめないでください」と何度も注意するようにしました。「辞めます」と言われたら、「辞めてもいいですよ、いつまでですか?」と言うようにしました。「辞めたい人は辞めてもらってもいい」と覚悟を決め、どんどん辞めてもらったのです。ここまでしないと、いじめはなくなりません。
どこの会社にも大なり小なり、いじめやパワハラはあると思います。しかし、それが原因で大事な人財が会社を辞めてしまうのはもったいない話です。
いじめは、一番上に立つ者が覚悟を決めればなくせることです。会社でも、学校のクラブでもどこでもそうです。もし、あなたが飲食店に行って、感じが悪いスタッフさんがいたとしたら、その店の経営者も感じが悪いに違いありません。経営者の覚悟ひとつで、組織の風土は変えられると思います。
※児童虐待の連鎖については、「児童虐待の世代間連鎖と遺伝-環境相互作用」(梅本洋)を参考に記述。