どんな人だって働ける

本当に有り難いご縁があって、私は、成澤俊輔(なりさわ しゅんすけ)さんと懇意にさせていただいています。彼は、「世界一明るい視覚障がい者」を標榜しているくらい、超ポジティブな方です。今回のタイトル「どんな人だって働ける」も、成澤さんが発信しているメッセージです。
最初に、成澤さんの障がいについてお話しします。3歳の時、家族で花火を楽しんでいた際、花火の燃えかすをうまくバケツに入れられなかったそうです。夜盲の症状でした。心配したご両親は、彼を病院に連れて行きます。診断結果は、指定難病の「網膜色素変性症」でした。これは、目の内側を覆っている網膜に異常をきたす病気で、遺伝性や進行性が認められます。夜盲(暗いところで物が見えにくい)、視野狭窄(きょうさく)(視野が狭くなっていく)、視力低下、色覚障害などの症状があります。病状は何十年もかけてゆっくり進みます。残念ながら、まだ治療法は確立されていません。彼の視野は、中学時代をバスケットボールの大きさだとすると、高校時代は野球のボールくらいに狭まり、大学時代はピンポン玉に、現在は、ほぼ全盲状態だそうです。
次に、成澤さんのこれまでについて簡単にご紹介します。彼は、小学生になると、学期ごとに眼科で診てもらっていました。サングラスもかけなければいけなくなり、自分が周りの人と違うことを感じ始めます。
中学生になると「僕はきっと普通じゃないんだ」という思いが強くなっていきます。そして両親から自分が病気であることを告げられます。
高校生になると、視覚障害のために、周りから取り残されていることを実感し、何か武器を身につけようと思い、勉学に励んだそうです。
大学では、障がいをもつ人の就労支援や生活支援について知りたいと思い、社会福祉を学びました。しかし、障害者福祉論の授業で「障がい者はね…」という言葉を聞くたびに「あぁ、僕の人生って厳しいんだ」と実感し、一人で泣いていたそうです。
ある時期から成績が振るわなくなりました。しかし、どう周りに頼ったらいいのかわからず、ふさぎ込む日々が続きます。結果、2年間学校に登校できませんでした。引きこもりです。両親にはそのことを言えません。
しかし、いつまでもうそをつき通すこともできません。とうとう「ごめんなさい、実は学校に行っていませんでした」と白状しました。すると、怒ると思っていた父親は「お前もスーパーマンじゃなかったな」と笑ったそうです。その時、「失敗してもいいんだ」と知り、なぜか「これで大学を卒業できる」と思ったそうです。それ以降、成澤さんは、自分の弱さを認めて、おおっぴらにそのことを話せるようになりました。
大学時代は、インターンとして経営コンサルティング会社で働き、貴重な経験をされたそうです。あるクライアントの経営者さんに、大変喜んでいただけたといいます。その経験を通じて、経営者の抱える孤独感と障がい者の抱える孤独感に似たところがあるのを感じたそうです。障がい者のマイナス面は、逆にプラスに働くことがあることを知ったのです。彼は、そのまま、そのコンサルティング会社に新卒入社しましたが、無理が高じてか、うつ状態になり退社することになります。
その後、東京視覚障害者生活支援センターで、視覚障がい者として仕事をする土台作りからやり直しました。そして、ご縁があって就労困難者の就労支援と雇用創造をするNPO法人FDA(Future Dream Achievement)の事務局長に就任します。そこでは、行政機関さんから引っ張りだこになり、いろいろな方の就労支援をしました。彼の手にかかると、魔法のように就職先が決まるといわれたくらいです。FDAでは理事長まで勤め上げ、退任。
現在は、年間100回以上の勉強会、講演会、イベント等を手掛けながら、自ら経営コンサルティングなどを行う会社を経営されています。成澤さんは、経営者の答えのない苦しみに対して、コーチングやメンタリング手法でかかわり、「経営者という人生の醍醐味(だいごみ)を感じてもらえるような伴走をしたい」とおっしゃっています。成澤さんを知る経営者からは、「経営者に寄り添うコンサルタント」「経営者の気持ち整え人」と呼ばれています。

私は、このようなすごい方とご縁があって、懇意にさせていただいているのですが、「もっと多くの方に成澤さんのことを知っていただきたい」「話を聴いていただきたい」と思い、このたび、ご縁をつなぐ企画を立てました。
三翠園では、近年、高知県立盲学校さんと交流を深めさせていただいており、毎年、朝食やチェックインなどのインターンシップに取り組んでいます。そこへもってきて、今年の6月13日、14日は、高知県立盲学校で行われた第50回中国・四国地区盲学校弁論大会に、審査員として招いていただきました。
今回の企画は、こうした盲学校さんとのご縁と成澤さんとのご縁を、縁結びする企画です。どのような企画かというと、成澤さんに講演をしていただき、盲学校の生徒さんにプレゼントしようと考えたのです。最初は、Webでの講演会を考えましたが、どうせなら成澤さんの熱量をじかに感じていただきたいと思い、9月5日に成澤さんを高知に招聘(しょうへい)することにしました。
講演会は2部構成にして、1部は地元の高知県立盲学校の生徒さんに、2部は中国・四国地区盲学校の生徒さんに聴いていただくことにしました。さらに、その夜は学生さんや経営者など一般の方向けに、成澤さんの一問一答形式のセミナー「一緒に悩みを解決しよう会」を三翠園で開催いたしました。大変なハード・スケジュールでしたが、有り難いお話を拝聴できた1日となりました。

折しも、成澤さんは少し前に結婚されたばかりでした。それならばと、「新婚旅行を兼ねて、ぜひ、ご夫婦で高知にお越しください」とお願いしたのです。
成澤さんの結婚披露パーティーは、7月21日、帝国ホテル孔雀の間で盛大に執り行われました。私もご招待いただいたのですが、もうびっくりの連続でした。招待客320人超、5時間半をかけた大エンターテインメントショーでした。
初めて見たのですが、「雷光炎舞かぐづち」によるファーヤー&ライトパフォーマンスショーあり、津軽三味線と和太鼓の演奏あり、トークショーありと、次々に豪華なショーが展開されていきました。私にとって圧巻だったのは、新郎新婦のお母さまお二人にご登壇いただき、トークセッションが行われたことでした。こんな披露宴は見たことがありません。
それもそのはず、担当したウエディング・プランナーさんがまたすごい人で、日本一のプランナーと称されている有賀明美さんでした。彼女の式次進行は洗練されていて、かつ丁寧。お料理もすばらしく、誰もが楽しめる結婚披露パーティーになっていました。私は、帝国ホテルでの披露宴なんて人生最初で最後でしょうから、気合を入れて出掛けたのですが、もう全てが幸せにあふれており、あっという間の5時間半でした。

さて、成澤さんは超多忙な方で、9月27日はフランスのパリに飛んでいました。何をしに行ったのかというと、2025年春夏パリコレクション(パリコレ)に参加するためでした。以前から、「パリコレに出たい!出たい!」と公言していたらそれが実現できたというのです。成澤さんのFacebookには、モデルとしてランウェイを歩く彼の姿がアップされています。
成澤さんは、目が見えないから不利とは考えず、逆にそれを強みにして、次々に、夢を実現させていっています。本当にすてきな方です。

※ランウェイ(Runway)とは、「キャット・ウォークとも呼ばれており、ファッション・ショーが開催されている間、ファッション・モデルたちが洋服やアクセサリーなどを披露する舞台」を指します。(VOGUE25JAPAN引用)