しょうもない記憶力

意外に思われるでしょうが、私は同級生の中では、結構、記憶力がいい方みたいです。昔の話を鮮明に覚えているので、同級生にびっくりされることがよくあります。
しかし、残念なことに私の記憶力は、どういうわけか勉強には全く役に立ちません。試験の時は、いつも教科書を覚えられず苦労したものです。
私の記憶力は、感情と連動しているようで、どうでもいいような出来事をいつまでも覚えています。では、どのような場面に記憶力が発揮されるのかというと、それは主に同窓会です。「あの時、○○ちゃんはこんなことを話してたやん」などと言うと、相手は「えっ、そんなことがあったっけ?」と、ちょっと喜んでくれます。ただし、この会話のように、当の相手は覚えていないことがほとんどで、結局あまり役に立ちません。

これからお話しする事件も、きっと私以外の当事者は誰も覚えていないと思います。しかし、私にとっては大変悔いが残る出来事であり、苦い思い出になっています。
今の私しか知らない方には想像できないでしょうが、小学生の頃の私は、肝心な場面で何も言えなくなるような子どもでした。今回の事件は、自分の意見が言えなくて、後からじだんだ踏んだ二大事件のうちの一つです。
小学生の時、私はちょっとおしゃれな銀玉鉄砲を持っていました。それが自慢で、よく持ち歩いていました。ある時、近所の子が「僕もそれ欲しい!」と言いました。「それどこで売っているの?」と聞かれたので、「駄菓子屋で売っているよ」と答えました。しかし、そのお店はちょっと遠い所にありました。口で説明してもわからないと思ったので、「行くなら、連れてってあげるよ」「でも、この鉄砲は1丁50円するから、50円を持ってきてね」と言いました。その子は家にお金を取りに帰りました。
私は自分の家の前で、自転車にまたがったまま、その子が家から出てくるのを待ちました。私の家とその子の家との距離は50メートルくらいです。
「遅いなあ、何しとるんやろ」といぶかしんでいると、その子の家から、その子のお母さんが血相を変えて飛び出してきて、こっちに走ってくるではありませんか。まるで鬼の形相です。あまりに顔が怖いので、私はとっさに隠れてしまいました。
「もういいやろう」と思って、道路に顔を出したところを、待ち構えていたお母さんに捕まってしまいました。すごいけんまくで「あんた、うちの息子に50円持ってこいと言うたんか!」とまくし立てられました。
「50円持ってこい」と言ったのは事実なので、「はい、言いました」と答えました。この場面では、本来なら「その子が銀玉鉄砲を欲しいと言ったので、私がお店まで連れて行ってあげることになった」といういきさつを説明すべきなのですが、とっさのことで肝心なことが言えなくなってしまい「はい、言いました」と答えてしまったのです。
その子は、低学年でしたから、多分「お兄ちゃんから50円持ってこいと言われたので、50円ちょうだい」とでも言ったのでしょう。そこだけを聞いた母親は恐喝されていると勘違いしたのです。そこからは、一方的に私は詰められました。
「あんたうちの子からお金を取るつもりだったんか」
「いやいや、そんなつもりないですから」
「じゃあ、何で逃げたんや!」「何で隠れた!」
「なんか怒られると思って・・・」
「今回だけは勘弁しちゃるけど、今度やったらあんたの親に言うで、大変な問題にするで、ええか!」

この事件から50年以上がたちました。その子は、今、近所で歯医者さんを経営しています。なぜ、この話を思い出したのかというと、先日、新聞の訃報欄にそのお母さんの名前が載っているのを見たからです。
そのお母さんは、「近所に息子を恐喝したやつがいる」と誤解したまま亡くなったのかと思うと悔しくてなりません。もっとも、お母さんは90歳を超えていましたので、間違いなく50年も前の恐喝事件なんて覚えているはずがありません。私の並外れた記憶力は、こういうしょうもない出来事にだけ威力を発揮するようです。