「二十四の瞳旋風」再び
朝、長年仲良くしていただいている方のお母さまが亡くなったという連絡が入りました。ご葬儀の当日でしたが、偶然、予定が空いていましたので、車に乗ってお通夜に向かいました。場所は宿毛市です。
行ってみて驚いのは、宿毛市がめちゃくちゃ近かったことです。昔なら4~5時間はかかったと思いますが、高速道路や自動車専用道路が整備されたおかげで、2時間ぐらいで行けました。高速道路や自動車専用道路は、観光やビジネスなどに便利なだけでなく、災害発生時には救命救助、あるいは被災地への支援物資輸送のための緊急輸送路となりますので、大変ありがたいと思いました。
実は、「時間さえ合えば行きたいなあ」と思いながら、どうしても行けなかった企画展がありました。すっかり諦めていたのですが、なんとその企画展は、宿毛市に向かう途中の黒潮町で開催していたのです。かなり余裕をもって出発したこともあって、「これは行けるやん!」と思い、恐縮ですが少しだけ寄り道をさせていただくことにしました。
展示会場は、「黒潮町立大方あかつき館」内でした。同館は、黒潮町が生んだ作家、上林暁(かんばやしあかつき)さんにちなんだ施設で、上林暁文学館、黒潮町立大方図書館、 レクチャーホール、町民ギャラリー、 会議室、和室で構成されている複合施設です。
企画展名は、第49回企画展「わが母校中村高校~第49回選抜高校野球の思い出」(上林暁)です。少々ご説明しますと、高知県立中村高等学校は、1977年(昭和52年)第49回選抜高等学校野球大会(春)に初出場しました。部員が12人しかいないチームですが、初出場で、なんと準優勝という快挙を成し遂げたのです。部員数が12名だったということで「二十四の瞳」と称され、当時、「二十四の瞳」旋風が巻き起こりました。その時のエースは、身長190センチを超すピッチャーの山沖之彦さんで、この方は高校卒業後、専修大学へ進学し、その後、阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)に入団されて大活躍されています。最後は、フリーエージェント(FA)権を行使して阪神タイガースへ移籍しました。ちなみに中村高校は、その後、2017年(平成29年)第89回選抜高等学校野球大会(春)で2度目の出場[21世紀枠]を果たしています。
上林暁文学館では、企画展にあわせて、令和6年度第2回文学講座 「第49回 選抜高校野球大会 さてその真相は? ~わが母校中村高校」も開催していました。こちらの講座は、当時の大会で選手として活躍した山沖之彦さん、田頭克文さん、小松孝年さんと、監督を務めた市川幸輝さんに、当時の体験を語っていただくパネルディスカッションです。パネルディスカッションの開催日は6月2日でした。この日は残念ながら仕事で行けませんでしたが、展示物については第49回企画展の開催期間中(4月27日~6月5日)展示してありましたので、こちらも楽しめました。
「二十四の瞳」旋風が巻き起こった当時、私は中学3年生でした。胸が熱くなって夢中で応援した記憶があります。展示されていた上林暁さんの文章を読むと、非常に懐かしく、心が和みました。
余談ですが、上林暁文学館さんは入場無料ということもあって、受付に人がいません。1階に、「上林暁文学館に来館された方は、この貝殻を1枚持って2階の展示場に行き、そこへ貝殻を置いてください」と書いてありました。「なんのこっちゃ」と思いましたが、どうやら貝殻の数で来場者数を数えているようでした。なんとも非常に風情のあるすてきな入場方式です。
この日は、お弔いで寂しい気持ちでしたが、少し、ほっこりした気持ちになれました。