代替案
会議を妨げる困った人には、意思決定を妨げる「意思決定キラー」のほかに、やたらと反対意見を言う「進行キラー」がいます。これからしようとしている施策はもちろん、現在行っている施策についても、なんだかんだと横やりを入れてきます。この「進行キラー」がいると、横やりを入れられた都度、会議の進行は止まってしまいます。
この「進行キラー」の人は「意思決定キラー」と同じく、存在感をアピールしたいだけなので、会社をよくするための具体策までは考えてくれません。取りあえず反対意見を言うだけです。
「これ、おかしいですよ!」
「何がおかしいですか?」
「何がって、間違ってるでしょ!」
「どこが間違ってますか?」
「どこがって・・・」
「じゃあ、あなたはどうしたらいいと思いますか?」
「・・・」
「進行キラー」との会話は、おおむねこのようなやり取りになります。横やりを入れるだけなら部外者でもできます。いい会社にしようと思う仲間なら「代替案」を言うべきです。ただ「おかしい」と言われるだけでは、修正案がつくれません。「えー、おかしいんだ」で終わってしまいます。そこで会議はストップします。
私は、三翠園にきた当初、よく「それはおかしいですよ」と言っていましたが、反対意見を言う場合は、必ず「どうせするならこうしませんか。その方が経費もかからないし、お客さまにも喜んでもらえると思いますよ」と、具体的に代替案を示しました。自分なりに経験があったから「それはおかしいですよ」などと言ったのです。批判する根拠も代替案もないのに、ただ批判するだけでは無責任と言われても仕方がないと思います。
会議をする意義(意味と価値)は、多くの人が知見を出し合うことで、一人では思いも寄らなかった最善策を生み出せることにあります。活発な意見交換は、人や組織をバージョンアップしてくれます。基本、代替案は大歓迎です。
ところが、中には代替案を好まない組織もあるようです。
私は県の教育委員会の教育委員を拝命したことがあります。会議の場では、いろいろな意見や反対意見が噴出します。しかし、なぜか「これはおかしいです。僕ならこうしますが」などと代替案まで言う人は皆無でした。それもそのはず、言っても意味がないからです。その証拠に、私の代替案はことごとく採択されませんでした。
これは個人的な感想ですが、当時教育委員会は名誉職のような位置づけになっており、形式的に会議は行われますが、本気で議論しようとは考えていないように思いました。ですから、具体的に代替案を出して迫っても、「善処します」と言われるだけです。そう言われれば、「わかりました」と言うしかありません。
しかし、私はしつこい性格なので、本当に善処してくれたのか調べました。すると何もやっていないことがわかりました。「善処」とはうまく処理するという意味ですが、まさしく“うまく処理”されていたようです。これでは、心苦しくてお給料を頂戴するわけにはいきません。普通8年務めるところ、私は半分の4年で退任いたしました。給料も全額あちこちに寄付しました。退任した理由は、もう一つあります。それは、直接、自分で教育界を応援しようと考えたからです。
先般、土佐経済同友会として、教育委員会に提言をさせていただきました。長い年月をかけて宿題をやっと提出できた思いです。地域連携・協働による具体的な現場支援策です。人づくりは国づくり、教育は人なりといいますが、学校教育の成否は先生にかかっています。地域社会は一丸となって先生を応援していかなければなりません。私たちの提言が、先生の多忙感と負担感の軽減に少しでもつながることを