慢心くわばら

そんな気がなかったとしても、仕事上、人から頼まれる機会が多いと、自分が偉くなったような気になってしまうものです。これが慢心につながります。
かつて、料理がすごいと評判のお店に行ったことがありました。店の外までいい匂いがしており、期待が高まります。
店内に入り、「すいません、空いていますか」と尋ねたところ、出てきた店員さんは、ぶっきらぼうに「何人?」と聞き返しました。「5人です」と言うと、「うーん・・・」と言ったきり、なかなか返事をしてくれません。それがとても感じ悪かったので、私は「ああ、じゃあもういいです」と言って店を出ました。
何が感じ悪かったのかというと、店の都合しか考えていないのが丸見えだったからです。どうせ「4人掛けのテーブルを二つ使うと、椅子が三つ空いてしまう・・・」などと考えていたのでしょう。
この店員さんは、どうしてこういう態度をとってしまったのかというと、それは「慢心」していたからだと思います。きっと、ひっきりなしに来店するお客さまに対して、毎日のように「すみません満席です」と返事をしていたのでしょう。「なんとかなりませんか?」と頼むお客さまに対しても「いいえ、満席ですから」とむげにお断りしていたのだと思います。
一般的に、依頼する側の立場は弱く、依頼を受ける側の立場は強いものです。この店員さんは社長でも店長でもありませんでしたが、人からお願いされ続けた結果、偉くなったような錯覚をいだいてしまったのでしょう。その慢心がぶっきらぼうな態度となって表れたのだと思います。
とはいえ、このお店もオープン当初は、すべてのお客さまに対して最大限のおもてなしをしていたと思います。「いらっしゃいませ。5人さまですか、ちょっとお待ちください。今3人さま用の席しか空いていませんが、なんとかお席をご用意いたしますので、少しお待ちください」などと言って、お客さまのために努力したと思います。しかし、繁盛店になるにしたがい、お客さまにいらしていただける有り難さを忘れ、お客さまがいらっしゃることが当たり前に思えてしまったのでしょう。

私は、料理というものは五感(視・聴・嗅・味・触)×雰囲気で味わうものだと思っています。どんな場面で食べたのか、どんなおもてなしを受けたのか、誰と食べたのかも、大変重要です。いくら希少な食材、高級な食材であっても、いくら調理が一流であっても、雰囲気が0点なら、100点×0=総合評価0点です。
私が訪れた評判店は、売り上げが上がって、他の場所にも店を出しましたが、現在は苦戦しているようです。いくら料理が素晴らしくても、働く人が慢心していたら雰囲気は0点です。きっと豪華な料理もおいしく感じられないと思います。せっかく評判になっていたのにもったいない話です。
一方、一流の料理人がいるわけでも、目新しい店内でもなく、驚くような食材もないのにおいしく感じるお店もあります。それは、女将さんやスタッフさんのおもてなしの心が隠し味になっているからだと思います。そうしたお店は、いつも和やかな雰囲気でとてもリラックスできます。ですから、私はご夫婦で営んでいるような居酒屋さんや小料理屋さんなどを好んで利用させてもらっています。

 「慢心」は飲食店だけの話ではありません。大会社の中でも起こります。例えば、総務部の発注担当になると、取引業者さんが皆ペコペコと頭を下げてきます。接待もしてくれるでしょうし、盆暮れの贈答もいっぱい送られてきます。すると、なんだか急に偉くなったような気持ちになります。しかし勘違いしてはいけません。取引業者さんはその人にペコペコしているのではなく、仕事をくれる会社や、発注する部署に対してしているのです。
かく言う私も慢心していた一人でした。前職では、若くして資材担当を任せてもらったのですが、業者さんがあまりにもペコペコしてくれるので、気持ちがよくなってしまい、一時、自分が仕入れを支配しているような勘違いをしたことがあります。「人のふり見て我がふり直せ」といいますが、いろいろカッコ悪い人を見ていくうちに、自分もカッコ悪い一人になっていることに気づき、ハッとして改めたのです。

その仕事を辞めたら、声もかけてもらえないという人間にだけはなりたくありません。目指しているのは、仕事を辞めて10年、20年後、ばったり街中で会った際「その節はお世話になりました」と声をかけてもらえる人間になることです。間違っても、弱い者いじめや優越的地位の濫用だけはしないと心に決めています。慢心、くわばら、くわばら。