娘さんから届いた手紙 ~大倉先生の思い出(後編)~
前編では、高校時代の恩師、大倉浩典先生のお父さんは、植物学者の大倉幸也さんであることをお話ししましたが、実は、大倉幸也さんおよび先生の曾祖父(そうそふ)にあたる大倉遊仙さんは、牧野富太郎博士の土佐での植物採集をお手伝いしていたそうです。
今日は、大倉先生の系譜と牧野博士との逸話をお話しします。以下は、「大倉幸也先生」大倉幸也先生をたたえる会実行委員会編 高知県科学教育研究会発行を参照・抜粋・引用しています。
まずは系譜を整理します。大倉浩典先生の父は、植物学者の大倉幸也さん、祖父は大倉幸太郎さん、曾祖父は大倉遊仙さんです。
大倉幸太郎さんは、医者になるため岡山の医学校へ通っていましたが、チフスにかかり入院。医学校をやめて学校の先生になります。その後、村内学校の統合問題が起こり、幸太郎さんは村長となってこの問題に取り組みました。
大倉遊仙さんは、藩政末期「佐川の深尾家に仕えた地下(じげ)医師」(庶民の医師)でした。「(遊仙さんは)漢方医でもあり薬草について調べていたようです。それで牧野富太郎先生が明治十七年ごろはじめて名野川へ採集に来られた時、途中の猿橋まで迎えに出て互いに名乗り合い採集のお供をしました。この時牧野先生はまだ二十三歳、遊仙さんは五十八歳で年齢的に大分隔りがありますが、旧知のように山を案内し、いろいろの植物について教えてもらいました。これを契機としてその後も牧野先生は名野川にたびたび採集に来られ、その度に遊仙さんは医者の方は「本日休業」にしてお供をしてはお習いし、薬草の目録も作っていたようです」(大倉幸也さん記)。
大倉幸也さんと牧野博士との出会いは次のようだったと書かれています。
「昭和九年八月一・二・三の三日間にわたり、高知博物学会が牧野富太郎博士を迎えて、吾川郡長浜町(現在高知市)方面、横倉山方面、次いで室戸岬で植物採集会を開催しました。その時大倉先生は牧野博士の滞在中、その宿所にされている高知博物学会総務伊藤和貴先生宅へ朝倉から毎晩お伺いして、標本整理などのお手伝いをしました。この採集会が牧野博士と直接最初の出会いです」
大倉幸也さんが標本整理などのお手伝いをした際、牧野博士が土佐の思い出話をされたといいます。その話の中に、大倉幸也さんの祖父の話が出たそうです。
牧野 「そうそう、思い出した。昔、名野川に大倉遊仙という医者がいたが、あなたとはどんな関係ですか」
幸也 「はい、私の祖父でございます」
牧野 「そうでしたか。あの人はとても面白い方で、私が名野川に行くと、その日はお医者は休業、一日中私につきまわって植物の勉強をした。(中略)その後、何回か行った時にとうとう家で泊りなさいと言う事で、あなたの家で泊ったこともある。またこんなこともあった。今日はまだ日も高いので、アメゴを漁りに行こうということになり、投網をかついで中津渓谷の滝壺へ行った」
遊仙 「牧野さん、ここは北川のお釜というて、昔から大蛇がおると言います。みんなが怖がって近よりません。滝壺は深いし荒されちょらんので、きっと太いアメゴがおるはず」
そう言うと、遊仙さんは薄暗いゴーゴー唸っているお釜をめがけて投網を投げこみました。「ジワジワ網をたぐる。手ごたえがあるぞと引きあげてみたら、何のことはないツガニ(モクズガニ)が三匹。(中略)それでもツガニが十匹位とれたので、カニ汁でも炊こうかと帰り仕度をしているうちに、一天にわかにかき曇り、ものすごい稲光りと同時に雷が火柱になって、向いの松の木にあまった」といいます。
遊仙 「牧野さん、えらいことになりました。どうも水神様が腹をたてたにかありません。このカニも汁にしたらどんなタタリがあるかも知れん。神様にように断ってもらうようおたのみして、元の所へ逃がしましょうか。(中略)水神様よ、わるさをした遊仙を許して下されー。ツガニは全部元にもどしますけに。ドボーン」
さて、大倉幸也さんと牧野博士との交流は生涯続きました。それについては次のような記述があります。
「牧野博士に出会われてから大倉先生の植物研究はぐんぐん進みました。時間さえあれば県下あちこちに出掛け吉永虎馬先生に従って採集会に参加し研究を深めていきました。(中略)牧野博士には常に連絡をとりその指導を受けました。牧野博士が高齢になられた晩年には毎年お伺いして、牧野博士のお話を聞き希望される植物を採集してお送りするなどして、牧野博士の土佐における思い出の植物の研究を続けました」
さて、私は高知新聞さんから貴重な機会をちょうだいし、「閑人調」に「夢」というペンネームで1年間好きなように投稿させていただきました。その最終回は「先生との夏」(9月21日掲載)です。大倉浩典先生との思い出を書かせていただきました。ちょうど「らんまん」も最終回を迎える時でした。
「らんまん」効果だと思いますが、たくさんの知人から「『先生との夏』よかったよ」という声をいただきました。「なんや、最終回しか見とらんのかいな」と思いつつ、ニヤニヤしたものです。そんな先日、高知新聞社さんからメールが入りました。そこには、大倉浩典先生のご息女からのお手紙を預かっていると書いてありました。「先生との夏」の筆者宛ての手紙だそうです。
高知新聞さんから転送していただいた手紙には次のように書いてありました。抜粋してご紹介します。
「このたびは、父への愛のあふれる文章を書いていただき、ありがとうございました。素敵な文章で読みながら涙がでてきました。(中略)晩年も多くの卒業生の方達と交流があり、先生冥利に尽きるな、といつも嬉しく思っていました。「香典は先にもらっている」とは父から聞いていましたがピッチングマシン代だったとは・・・。心の中で生き続けてくれるのが一番の供養だと思うので本人も喜んでいると思います。「鮎」や「ツガニ」を食べながら・・・」
先生からは2021年4月8日に「卒業証書」(ブログ「人生の卒業証書」(2022.9.19)参照)をいただきましたが、その文中に「大勢の皆様と出合えたことで大変楽しく過させて頂き本当に有難うございました。もしあの世があれば?三途の川で捕れた「鮎」と「ツガニ」を料理して皆様のお越しをお待ちしております」と書いてあったことを思い出しました。
先程、先生の曾祖父の大倉遊仙さんは、ツガニで牧野博士をもてなそうとしたことを引用紹介しましたが、大倉浩典先生もツガニをお好きだったとは! どうやら大倉家は、植物とツガニがお好きなようです。
高知県を代表する郷土料理の一つに「つがに汁」があります。ツガニとはモクズガニのことで、「つがに汁」は、ツガニを粉砕した出汁からつくった汁物料理です。今、高知は、ちょうどツガニの旬となります。
先生は、遊仙さんと牧野博士と一緒に、天国で「つがに汁」を楽しんでおられるだろうか。