摘発されよう
私は、2002年に高知青年会議所の理事長を拝命しました。高知青年会議所は、歴代の先輩方が高知県の「まちづくり」に取り組んできた歴史があります。自ら市長や知事に立候補した先輩もいれば、今では当たり前になった風物詩「土佐のおきゃく」イベントの礎を築いた先輩もいます。新しいことに果敢に挑んできた先輩方は、後に続くわれわれの誇りです。
いざ自分が理事長を拝命した際、「私にできることは何だろう」と考えました。出した答えは「障がい者の就労支援」でした。障害を持った方の、温情ではない就労機会の拡大を、高知県を皮切りに全国に拡大していこうと思ったのです。
当時は、障がい者が働くとなると、当人は周りに気を使い、雇用する会社もその対応に気を使っていた時代でした。会社は、障がい者を雇用していることを、どうお客さまに周知したらいいか手探りの状態で、お客さまも会社が障がい者を雇用している意味をきちんと理解できていませんでした。
同年、私は四国管財で障がい者支援就労事業をスタートさせましたが、この事業を広げていくためには、行政の力を借りる必要があることを実感していました。青年会議所で活動を展開すれば、行政を動かすことができるのではないかと考えたのです。
青年会議所は、地元経済界と強いつながりを有しています。そこで、経営者を集めて障がい者を雇用するメリットを訴求しようと考えました。しかし、当時、行政が作った説明書きの内容は、難しすぎて経営者に伝わりにくいものでした。
ならば、青年会議所が要点をかみくだいて、「猿でもわかる政府の障がい者雇用」というような冊子を作り、それで説明会をしようと考えたのです。それを日頃懇意にしている高知労働局の担当官に相談したところ、「この偏った説明は非常に問題があります。これを配布すると摘発されかねませんよ」と注意を受けてしまいました。
われわれは悩みに悩みました。出した答えは「摘発されよう」というものでした。摘発してもらえれば、全国のメディアが一斉に注目してくれます。そうなれば、われわれの活動がバズります(話題になる)。結果、障がい者雇用が耳目を集め、一挙に拡大できるチャンスだと考えたのです。
こうしてわれわれは高知労働局に「すいませんが、摘発してください」とお願いに行ったのです。しかし、労働局としては摘発することを目的としていないため、話し合いとなり、結果、法的に問題ない折衷案がつくられ、それを世に広げていくこととなりました。
摘発こそしてもらえませんでしたが、われわれは、あの時の活動が間違いなく現在の高知における障がい者雇用の礎になったと自負しています。