新婚旅行から呼び戻される(家事代行業その1)
若い頃からいろいろな仕事に挑戦してきましたが、家事代行業は、「この仕事をしたら他の人には負けない」という自信がある仕事の一つです。
私は、四国管財に入社した年の1985年12月に結婚しました。当時、四国管財では、ただでさえ忙しい12月に、単発の大掃除の仕事を取れるだけ受注していたため、大みそかまで無休で働かざるを得ませんでした。11月末には上司が「そろそろ12月なので休めなくなるので早めに休んでおいてね」など今では信じられないような事を言われていました。会社の業績もいいのに何で誰の為に意味が無い行為でした。つくづく明確な理念が無いとこんな事が当たり前の様に起きてしまうのだと思いました。
しかも働く人は何の疑問も持つ事はありませんでした。その後僕が作業の権限を持てる5年後ぐらいから12月の単発で新規の受注は辞めたり年間契約のお客様にも相談しながら1月や11月に予定を変更してもらい最終的には26日ぐらいまでしか予定が無く同業者が書き入れ時だ忙しいと言っている時に忙しいフリをして年間契約のお客様のみの対応を出来るようになりました。それ以降、私の社長時代は12月やそれ以外でも単発の定期清掃はお客様のご紹介以外は受けない様に努力していました。
話が戻りますが当時、当然、入社1年目の私が、「新婚旅行に行きたい」などと言える雰囲気ではありません。結婚式の前日・当日・翌日の3日間しか休みをもらえませんでした。大みそかも遊技場の天井を朝まで清掃していました。
新婚旅行に行けたのは翌年の8月です。ようやく休みが取れて、4日間の予定で東京ディズニーランドに出掛けました。
ところが、その2日目、上司から「会議があるから」という電話が掛かってきました。たぶん、上司は私が新婚旅行に行っていることを知らなかったのだと思います。それほど、当時、四国管財ではホウ・レン・ソウがまったくできていませんでした。
父が急逝したあと主婦であった何の経験も無い母が社長を継いだので、私の入社も周りから歓迎されていませんでした。迷惑な邪魔な存在でしたので何とか会社を守りたいという思いで本当に働きました。
隙を見せたら会社を乗っ取られるのではないかと疑心暗鬼でしたから、上司の命令を受けた際、ハイかイエスでしたので迷うことなく妻を一人残して高知にとんぼ返りしました。
会議では、いきなり「家事代行業を始めることにした」「中澤が担当しろ」と言われました。家事代行業というと、ハウスクリーニングをイメージするかもしれませんが、文字通り家事の代行業です。
何をやるのかさっぱりわかりませんでした。まずは情報収集に奮闘します。東京では、ちょっとしたブームになりかけていた時期だったようで、全国放送のニュースでも、ちょくちょく見かけるようになっていました。
私は、毎日、新聞の番組欄を見て、家事代行業に関する番組を探しました。そこで見つけたのが、日本で最初に家事代行業を始めた「ミニメイド・サービス」さんを取り上げた番組でした。モーニングショーで特番が組まれていました。
創業者の山田さんは、1970年の大学2年生の時、友人とミニメイド・サービス株式会社の前身となるビルメンテナンス会社を設立しました。その後、家事代行業に興味を持ち、アメリカに視察に行きます。帰国後、ビルメンテナンス会社の事業部としてミニメイド・サービスをスタート。2年後、「ミニメイド・サービス株式会社」を設立しました。
番組を見て、最初に印象に残ったのは、家事代行業ではなく、お掃除会社の作業車チェックでした。
四国管財は、入社当時、風紀が荒れていて、営業車がどんなに汚れていても平気でした。誰もきれいにしようとはしません。ですから、番組を見て「こんなに営業車をチェックする会社ってすごいなあ」と思ったものです。
今は、四国管財でも自主的に担当者が営業車をチェックする仕組みが根付いていますが、当時は「こういう風にやりたいなあ」と思ったものです。
さて、肝心の家事代行業ですが、番組を見ただけでは、いまひとつ具体的なことがわかりません。実際にサービスを受けてみるのが一番手っ取り早いと思いました。しかし、当時、高知はサービスエリア外でした。
たまたま上司の親戚が、サービスエリア内の兵庫県に住んでいました。そこで、その親戚の家にミニメイド・サービスさんを呼んで、サービス内容を覆面調査することにしました。
当日、都合良くその家のご主人は仕事で留守だったため、上司がお父さん役、私はその家の客人役という配役にしました。さあ、ミニメイド・サービスさんがやってきました。根掘り葉掘り聞き始めます。
まず驚いたのは、見積もりチェックシートでした。仕事の確認表などいろいろ整備されていて新鮮でした。どんな道具を使っているのか、どういうように作業をしていくのか、全部、客人の私がメモを取っていきました。ミニメイド・サービスさんは、1チーム3人で組成されており、サービス料は当時1時間9000円でした。
サービスの内容自体は、特殊なものではありませんでしたが、びっくりしたのは、極力お客さまの家にある掃除機などの道具を使うようにしていたことでした。ちょうど蛍光灯を落として割ってしまったので、クレーム対応についても情報収集することができました。
笑い話としては、その家の息子さんが学校から帰ってきてしまったことです。お父さん役の上司に向かって「こんにちは」とあいさつをしてしまいました。一瞬、皆が固まりました。私は、その場をごまかすため、あわてて息子さんを外に連れ出し、無理やりキャッチボールを始めました。
(その2に続きます)