迷えるカバン持ち(後編)
受付の記帳を終えた私は、手土産を渡され、場内に入って行きました。すると、200人ほどの人たちが、一斉にスタンディングオベーションで私を迎え入れてくれるではありませんか。
私は、手を振り、その熱烈な歓迎に応えます。「おー、すごい」。私は興奮しました。そして、結婚式の披露宴でいえば一番ど真ん中のメインテーブルに案内されました。てっきり、そこにカバン持ちをしていた知り合いがいると思っていましたが、いくら見回してもいません。今回の中国旅行では、私以外の随行者もいましたが、その人の姿もありません。
「ありゃあー」。だんだん事態が飲み込めてきました。どうやら、私は誰かと勘違いされているようでした。ここで、よせばいいのに、またよからぬことを考えてしまいました。「相手が勝手に勘違いしたんだから、ちょっと勘違いを楽しんでみるか」。不思議と肝が据わってきたことを覚えています。
席に案内されると、メインテーブルの方々が、順番に私をハグして迎え入れてくれました。そして、名刺交換が始まりました。私は、四国管財の名刺しか持っていませんでした。しかも日本語表記です。さらに、私は会社名と自分の名前しか中国語を話せません。名刺をもらった相手は、何か話しかけてきますが、さっぱりわかりません。ひたすら「ドウモ、ドウモ」みたいな感じて応じていきました。
しかし、だんだん周りの人たちの様子が変わってきました。首をかしげています。その日の私の服装は、上はポロシャツにカーディガン、下はジーパンでした。周りは全員背広にネクタイを着用しています。どこから見ても違和感しかありません。
席に座るように促されましたが、ここで席に座ったら、まちがいなく壇上で200人を前にスピーチか何かをさせられそうでした。非常にまずい展開です。
私は、あわてて皆に向かって手を合わせ、「アー、ゴメンナサイ」「ドゥイブーチー(ごめんなさい)」と言って、「ゴメンナサイ」「ゴメンナサイ」と日本語で言いながら、ダッシュで会場から逃げました。その会場は3階だか5階だかでしたが、階段を駆け下りて玄関を飛び出ました。今にして思えば、奇跡としか思えない脱出劇でした。よく逃げられたものだと思います。
その後、もう一つ奇跡がありました。本来、行くべきだった対談会場にたどり着けたのです。私は、対談相手の中国の人に、それまでに起こったことを話し、交換した名刺を見せました。すると、「あー、これは知事さんや市長さんクラスの集まりですね」と言われました。どうやら、全国の首長さんの集まりに紛れ込んだようでした。
いろいろありましたが、無事、私たちは帰国しました。しかし、私はいつおとがめがくるかと思って、数年間は肝を冷やしていました。気持ちよく、自分の名刺を配りまくってしまったからです。
これは余談ですが、脱兎(だっと)のごとく「人民大会堂」から逃げ出した私でしたが、気がついたら手にお土産の手提げ袋を握りしめていました。返しに行くわけにもいかず、ありがたくいただくことにしました。
恐る恐る手提げ袋を開けてみると、そこには自転車用のポンチョらしきものが入っていました。日本の100円均一ショップあたりで買えるような代物です。それが上等な手提げ袋に入っていたのでおかしくなりました。
この1カ月後、世にいう「天安門事件」が突発し、「人民大会堂」とその前の広場の様子は、世界中に報道されました。