クリニクラウンへの挑戦(前編)

ある時、テレビ番組で「病院に笑顔を届ける道化師」として、クラウン“K”こと日本ホスピタル・クラウン協会の理事長 大棟耕介(おおむねこうすけ)さんの活動が紹介されました。小児病棟で病気と闘う子どもたちを訪れたKさんは、パフォーマンスによって子どもたちを笑顔にしていきます。この番組を見て、ホスピタル・クラウンというステキな仕事があることを初めて知りました。

四国管財は、清掃業務だけでなく、さまざまな病院サポート業務を行っています。お客さまの声を集めてみてわかったことがありました。それは、当社の社員さんから「おはようございます」「さようなら」「お大事に」などと、あいさつをされるのを楽しみにしている患者さんが多くいることでした。
私たちは、医療従事者の資格は持っていませんが、モップとホウキと、笑顔とあいさつで患者さんを励ましたり、元気にしたりすることができると確信しました。「四国管財がお掃除している病院の患者さんは回復が早い」と言われるようになれば、差別化になります。
今、病院経営は厳しさを増しています。2003年より、厚生労働省が推進するDPC制度(包括医療費支払制度)の導入が始まりました。DPC制度が導入された病院では、診断群分類ごとに1日当たりの医療費が定められ、入院期間についても診断群分類ごとに定められています。定められた日数を超えると、入院費はどんどん低下する仕組みです。これは、入院日数が短いほど、病院にとってメリットがある制度ですが、入院日数が短くなれば、患者さんにとってもメリットがあります。
四国管財が、モップとホウキと、笑顔とあいさつを高めて、患者さんの早期回復に寄与できれば、病院も患者さんも当社もハッピーになります。そう考えている当社にとって、ホスピタル・クラウンのスキルは、魅力的な表現方法ですが、この時点では、そんなことは思い付きませんでした。

月日が流れ、私は、ずっと観たかった映画を観る機会に恵まれました。それは、実在するアメリカの医師ハンター・アダムス(通称パッチ・アダムス)の半生を描いたヒューマン・ドラマ「パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー」です。自殺未遂で精神科病院に入ったパッチは、ユーモアが人間の心を癒やすと知り、医学の道を志します。彼は、医師として笑いの効果を治癒に生かしていきます。
この映画を観た時、四国管財で私がやりたかったお掃除のイメージとホスピタル・クラウンが完全につながりました。「これはもう絶対やらないかん」と興奮しました。
世のため、人のためにもなりますが、四国管財の笑顔とあいさつを極めるために、ホスピタル・クラウンの活動に取り組む必要があると思ったのです。
すぐ、インターネットで調べてみました。いろいろ検索していると、最初に出てきたのは、「クリニクラウン」(臨床道化師)という言葉でした。
クリニクラウンとは、病院(クリニック)を訪問する道化師(クラウン)のことをいいます。クリニクラウンオランダ財団が発祥の地で、NPO法人 日本クリニクラウン協会(JCCA)が大阪にあることがわかりました。「へぇー」と思ってホームページを読んでいくと、「クリニクラウンになるためには、入院中の子どもの気持ちや、病院で活動するために必要な研修を受け、認定試験に合格する必要がある」と書いてありました。「なんや、試験もあるんか」と驚きましたが、「全く問題ない」と思い、応募することを決めました。
しかし、応募資格をよく見ると、50歳まで(当時の規定)と書いてあります。私は52歳でしたが、全く迷うことなく応募することを決めました。事務局の人には、「49歳でクリニクラウンに合格すると、3年活動したら52歳になるわけだから、52歳の人が応募してはいけないということはないと思います」と、全く自分に都合のいい論法で押し通しました。よく、私は自分に都合のいい論法で、できない理由を無理やりできる理由に変えていましたので、いつものことです。

クリニクラウンになるまでのプロセスは、①オーディションへのエントリー、②オーディション、③養成研修(前期)、④審査、⑤養成研修(中期)、⑥病院での実習、⑦養成研修(後期)、⑧認定試験、と気が遠くなる程のプロセスがあります。
クリニクラウンに求められるものは、クラウンならではの表現力と、子どもの権利擁護者としての視点など多岐にわたります。クリニクラウンは、優れた表現者であるとともに、子どもの接し方、子どもの心理、保健衛生や病院の規則にも精通したスペシャリストなのです。
事務局の人は、「遊びじゃできませんよ。本気じゃないと無理だよ」と言いました。ますますやる気になる私に対して、その人は「オーディションを受ける前に、オリエンテーリングに参加してみませんか」「その体験をしてから、本当にやりたいというならクリニクラウンに挑戦したらどうですか」と言われました。
私は、すぐオリエンテーリングに応募しました。全く迷いはなく、即決です。すぐ大阪に日帰りで行ってきました。オリエンテーリングは4時間ぐらいだったでしょうか、40人ぐらいの人が集まっていました。ミュージカルのような表現や、リズミカルな動き、即興的な動きと思考を求められました。私は全くそういう系統は苦手ですから、すべて音楽から外れまくりました。
オリエンテーリングの最後に、「この中で本気でやりたい人は、オーディションへお越しください」という案内がありました。私は、ここも迷わずエントリーしました。内心、「多分、通るな」と思いました。結構いろいろ、私は運がいい方なので、妙な自信がありました。
(後編に続きます)