いい会社をつくりましょう

西日本経済同友会大会(高知開催)閉会後、アテンド(接待)役の私は、大会で招聘した伊那食品工業の塚越寛最高顧問をゴルフにお誘いしました。残念ながら、その日、私は人生最大のイベントがあったため、プレーをご一緒できませんでした。気にされた塚越さんは、「今度は私が招待するから、ぜひ伊那に遊びにおいでよ」と、うれしい誘いをかけてくださいました。
 これは、ご厚意に甘えて私たちが伊那を訪れた時の話です。遊び(勉強)に伺ったのは、私と、ファースト・コラボレーションの武樋社長とワークウエイの奥村専務、そして私の友人で東大阪で愛と感動のビルメンテナンス会社を経営する株式会社ベルの奥社長の4人です。高知出発組の私たちは、飛行機で名古屋飛行場(小牧空港)へ飛び、そこから車で移動しました。大阪発の奥社長は、私たちが到着する1時間前に着いており、「みっちり塚越さんとお話しできた」と大感激でした。
 
塚越さんは、第16回(平成29年度)「渋沢栄一賞」を受賞されました。訪れた伊那食品工業さんの本社には、副賞で授与された渋沢翁のミニチュア立像が飾られていました。「渋沢栄一賞」は、今日の企業家のあるべき姿を示すため、渋沢栄一氏の精神を今に受け継ぐ全国の企業経営者に授与されます。
 食事をご一緒した後、塚越さんは、自ら会社の各階を案内してくださいました。会社の心臓部ともいえるR&Dセンター(研究棟)から、地域の文化活動に供する多目的ホール「かんてんぱぱホール」まで、全て見せてくださいました。
さらには、関連会社の米澤酒造株式会社にも連れて行ってくださり、いろいろなお話を伺いました。米澤酒造は明治40年創業の地元老舗酒蔵です。しかし、後継者問題や設備の老朽化で、一時、廃業の危機に陥りました。塚越さんは「地元の文化を守りたい」という純粋な思いから、米澤酒造を伊那食品工業の子会社にして、酒造りの文化を守ったのです。いろいろ説明していただいたのですが、その一言、ひと言が大変重く、感動の1日となりました。
 夕食は、幹部の方たちと、おいしい馬刺しのすき焼きを食べました。「もう、お願いだからやめてください」と言いたくなるほどの歓待です。

翌日は、信州伊那国際ゴルフクラブで塚越さんとゴルフを楽しみました。驚いたことに、八十歳を超えた塚越さんは、「お客さんに合わすよ」とおっしゃると、レギュラーティー(白色)から「ひょい」と打ったのです。しかも、スコアは塚越さんの一人勝ち。あまつさえ、ドライバーの飛距離も塚越さんにおいていかれる始末です。
塚越さんは大の負けず嫌いです。ドライバーの飛距離が気になるようで、「私の方が飛んだんじゃないか?」と喜々として話していました。実に、ほほえましいシーンだらけの楽しいゴルフです。

 それから数カ月がたった時に豪雨が高知県を襲いました。高知県の降雨量は他府県に比べて抜きんでていました。幸い、被害は他府県より少なかったのですが、その高知の豪雨は全国にテレビ中継されました。
それを見た塚越さんは、心配して「高知が大変なことになっているけど大丈夫なの」と、私に電話をかけてくださいました。塚越さんの人を思いやる心に触れて、感激したことを覚えています。それ以来、長引くコロナ禍にあって、塚越さんとお会いできない日々が続いています。

2022年6月、私が三翠園社長に就任した際、塚越さんはお祝いのお花を贈ってくださいました。私が、すぐにお礼の電話をかけたことは言うまでもありません。電話に出られた塚越さんは、「中澤君、おめでとう。中澤君の声を聞くのも久しぶりだねえ。コロナ禍でしばらく高知には行けないけど、コロナが終息したらまた会おうよ」とおっしゃってくださいました。そして「中澤君は、絶対に、ホテル業に向いているから、頑張りなさいね!」と激励してくださいました。私は携帯電話を握りしめていました。大いに勇気と元気をいただいた思いです。益々「いい会社をつくろう」という思いをまたひとつ積み重ねることができました。
コロナ禍が早く明けて、我らが三翠園に塚越さんをご招待できる日がくることを祈っています。その時は、高知県のために、ぜひとも公開講演をお願いし、その翌日はまたゴルフをご一緒したいと思います。
三翠園は旅行業の資格も持っていますので、いつか、高知発の伊那を旅するツアーなども企画できたらいいなあと夢を膨らませています。

※写真は酒造会社から見る絶景 電線がありません 地域貢献を沢山されたので「色んな方がご協力してくださるんだ」とおしゃっていました。