幼稚園児の恩送り
私が、困っている人を見ていられなくなったのは、ある出来事がきっかけでした。私が幼稚園の年長組の時のことだと思います。家族旅行で初めて東京に行きました。私と母は飛行機組で、父と姉は国鉄組です。私たちが乗った飛行機はプロペラ機のYSー11でした。私の父と姉は、大変な飛行機嫌いで、行き先がどんなに遠くてもすべて国鉄(現JR)を使っていました。ですから、家族全員が飛行機に乗っている写真は1枚もありません。
当時、高知からの便は、国際線や主たる路線を優先するためか、羽田上空で1時間くらい待機させられることがザラにありました。その日も、私たちの飛行機は羽田上空で長時間待機していました。大変な悪天候で飛行機はひどく揺れます。
母は、ただでさえ乗り物に弱かったのにこの揺れです。具合が悪そうで見ていられません。幼いながらも、なんとか母を励まそうと思い、母の時計を指さして「長い針がここまできたら到着するからね」「もうちょっと、もうちょっとだよ」と精いっぱい励ましたことを思い出します。
羽田空港では、父と姉が今か今かと到着を待っていました。ようやく、家族そろっての東京旅行が始まります。せっかく来たのですから、東京タワーはもちろん、行ってみたかったところを、ぐるぐる見て回りました。
今回の東京旅行の重要なミッションはお土産を買うことです。めったに行かない県外旅行なので、親戚や知人にお土産をたくさん買って帰らなければいけません。行く先々でお土産を買いますから、すごい量になっていきました。印象に残っているのは、小さな茶箱に入ったお茶のあめです。たくさん買いました。それと、東京タワーのカレンダーです。東京タワーのミニチュアの横にパタパタめくるカレンダーがついたものです。まさに、「東京へ行ってきたぞ!」と自慢できるようなお土産をたくさん買いました。
さて、楽しい家族旅行を終え、私と母はたくさんの土産とともにタクシーで羽田空港へと向かいました。このころから母は脚が悪くなってきており、つえの助けが必要でした。荷物を運べる人は私しかいません。搭乗口に向かって、山のような荷物を運ぼうとしますが、とても幼稚園児が運べるような量ではありません。
その時、どこからともなく、背広を着た紳士が私たちの前に現れました。偶然、その紳士は同じ飛行機でした。「この荷物は私が持ちましょう」と言うやいなや、ひょいと持ち、なんということか機内まで運んでくれました。非常に有り難く、思わず2人で手を合わせたくなりました。
こうして、私たちは無事に高知空港まで戻ってくることができました。しかし、大問題が残っています。あの荷物をどうやって運ぶかです。到着口を出れば、親戚たちが迎えに来てくれていますが、そこまでどうするか見当もつきません。「どうしよう・・・」。
その時、再び、先ほどの紳士が私たちの前に現れました。その人は、私たちが困らないように待ち構えていたのです。そして、また私たちの荷物をひょいと持ち、到着口までずっと運んでくれました。
到着口には親戚が待っていました。母は、開口一番、叔母さんに「あの人を追いかけて、お礼を言ってちょうだい」と言いました。
しかし、その紳士は、私たちが親戚と合流できたのを見届けると、その場に荷物を置いて何も言わずに空港の出口に向かって歩いて行ってしまいました。そこには黒塗りの車が迎えに来ていて、紳士はそれに乗り、さっそうと去っていきます。
「なんてかっこいいんだ!!!」
まるでマンガのヒーローのようでした。この紳士の姿が私の脳裏にヒーローとしてクッキリ焼き付きました。あの紳士には恩返しできませんでしたが、その代わり、今度は私が困っている人に恩送りする番です。この出来事を機に私は決意しました。
「困っている人がいて、僕にできることがあれば、何でもしよう!」