還暦を迎えました

おかげさまで、先日、無事に還暦を迎えることができました。自分が60歳まで生きられるとは驚きです。
私が中学2年生の時、父は43歳で亡くなりました。この出来事を境に、「人は厄年前後に亡くなるもんだ」と漠然と思い込むようになり、その時を恐れてきました。実際、周りの人に「僕は、きっと43か45歳で死ぬよ」と言っていた覚えがあります。

「人生は43年間」と盲信していましたから、四国管財に入社した時も「あと何年しかない」と焦っていました。もっとジックリ物事に取り組んでいたら、多くの人に迷惑をかけることもなかったのかもしれません。反省しています。
今となっては笑い話ですが、万一の時に家族が困らないように、45歳で亡くなることを前提にして、生命保険をかけていました。
その後、優秀なファイナンシャル・プランナーの友人のアドバイスを受け、契約を見直しましたが、すでに相当な保険料を支払っており、大きな損を被ることになりました。生命保険を勉強した人が見たら、気絶するような保険契約だったと思います。これも反省点です。
お恥ずかしい話ですが、私は母の生命保険でも失敗しました。父が亡くなった後、母が会社を承継したのですが、母に万一のことがあった場合に備えて、生命保険をかけることにしました。株式の相続に伴う相続税の納税資金対策です。しかし、これも人にお話しできないくらい恥ずかしい保険契約でした。そんな母も現在92歳です。これは結果論ですが、もし生命保険の保険料相当分を貯蓄していたら、いろいろなことに使えたのになあと後悔しています。

そして大事件が起こりました。漠然と予見していた通り、私は45歳の時、突然、死を意識することになったのです。それは出張前のことでした。ちょっと咳(せき)が出る程度でしたが、念のために近所のお医者さんに診てもらうことにしました。
「肺のレントゲンも撮っておくか」という軽いノリでレントゲンをお願いしましたが、お医者さんはその画像を見るや否や、「えぇっ!」と叫んで腰を抜かすではありませんか。
この世界に飛行機の機長の絶叫と、お医者さんの絶叫ほど怖いものはありません。お医者さんは、「これは肺ガンの末期やないか!」と言うのです。いきなりのガン宣告でした。
「えぇっ!」今度は、私が絶叫してイスから飛び上がりました。お医者さんは画像を指し示して何か説明していますが、まったく頭に入ってきません。何回聞いても理解できないまま余命宣告へと続きました。
とにかくすぐに入院して手術をしなければいけないという話になり、「ええっ、なんで・・・」と言いながら、私は駐車場へ何かを取りに行きました。そして受付に戻り、また何かを確認しに駐車場へ行き、と駐車場と受付を3回行ったり来たりした記憶があります。この間、何をしに駐車場に行ったのかよく覚えていません。頭の中が真っ白になるとはこのことです。
しかし、3往復しているうちに、少し冷静になってきました。実は、私には幼少期から、かかりつけの病院があります。近森病院さんです。それを思い出しました。近森病院さんには、いままでいろいろな病気を治していただいており、最も信頼する理事長先生はじめ、信頼できる先生がたくさんいらっしゃいます。父の代から大変お世話になっている病院ですし当然四国管財も言葉にできないくらいお世話になっています。

「ちょっと待てよ、このままここに入院していいのだろうか、近森病院さんに診てもらった方がいいんじゃないか?」
私は、家に荷物を取りに帰るということにして、その足で近森病院さんに向かいました。近森病院さんでは、健康診断時のレントゲン画像と現在の画像を見比べてもらいました。その時、私を診てくださったのは、主治医である北村龍彦先生(前副院長・現外科部長)です。
先生は、「はいはい、なるほどね、大丈夫だよ。でも中澤さん、これは切っちゃおうね」などと、落ち着いて、優しい口調で説明してくださいました。私は一気に安心したことを覚えています。近森病院さんに着いた時は、血圧が200ぐらいありましたが、一気に下がったように思います。「じゃあ、もう先生お願いします!」。私は安心して、命を預けることにしました。
すぐ、先ほどのお医者さんに電話をかけて、「すいません、かかりつけの近森病院さんで診てもらうことにしました」とお断りを入れて、いったん家に帰ることにしました。
しかし、帰宅した私を待っていたのは、血相を変えた家族でした。先ほどのお医者さんが、よかれと思って、すでに家族に電話をかけて状況を勝手に説明していたのです。
私は、家族には病名を言わないでおこうと決めていたのですが、もう隠せません。母は、大騒ぎです。かなりの重症で、具合が悪いことが知れ渡ってしまいました。

私は、若いときからタバコを吸っていました。「タバコは身体に悪い」「タバコを吸うとガンになりやすい」ということは知りつつもタバコを吸い続けていました。どこかで「どうせ身体によくない程度だろう」と高をくくっていたのだと思います。
禁煙は何度も挑戦しましたが、「どうせ~」と逃げを用意した上での挑戦ですから、一度も成功しません。しかし、禁煙に挑戦する回数だけは年間300回ぐらいあったでしょうか。周りからは「禁煙のプロ」とやゆされました。禁煙に挑戦する回数が多いという点で「プロ」なのです。

こうして私は近森病院さんに入院しました。まずは手術のための検査入院からです。入院して脳裏をよぎったのは父のことでした。そして、「やっぱり僕は厄年までだったのか」と落胆しました。自分の命の期限を知ってから、口では言い表せない恐怖を感じていました。45歳までに死ぬと言っておきながら、情けないことに覚悟がまったくできていなかったのです。
しかし、奇跡が起こりました。検査入院をしているうちに、不思議なことに症状がだんだんと快方にむかっていったのです。そして、半年後にはすっかり元気になることができました。こうして、私は手術をすることもなく、最悪の診断から無事生還できたのです。これ以来、北村先生は命の恩人となりました。
さすがの私も、その日からタバコを止めました。禁煙のプロは引退です。