ハンディは不利?

世の中には、いろいろハンディキャップ(障害)のある方がいらっしゃいます。過去、三翠園では高知県立盲学校の生徒さんにインターンシップに来ていただいたことがあります。その際、私が驚いたことは、学生さんたちのITリテラシーの高さでした。パソコンやスマートフォンから三翠園のホームページに入って、宿泊の予約を体験してもらったのですが、初めて見る光景に感嘆しました。全盲なので文字はまったく読めませんが、音声読み上げのスマホを駆使して、ガンガン読み取っていきます。その生徒さんのスマホの解読スピードは、この世のものとは思えない速さでした。目は不自由ですが、ずばぬけた情報処理能力をお持ちでしたので、この方は絶対ITの分野で活躍される方だと確信しました。
人間には無限の能力と可能性があります。ハンディキャップだけに着目すると「不利」に見えますが、半面、必ず人より優れた「有利」も併せ持っていると思います。ハンディキャップには、こうした二面性があるのです。

 私は幼い頃左利きでした。当時は、左利きはいじめられるので、右利きに矯正していた時代です。私も父によって、小学1年生の時に右利きに矯正されました。
とはいえ、文字に関しては左手の方が書きやすかったので、先生が見回りに来ると右手で、遠ざかると鉛筆を持ち替え、左手で書いていました。今でいう二刀流です。ところが、おもしろいもので、まるく書く「あ」などの文字は逆になります。それでいつもバレてしまい、「また左で書いたな!」と叱られたものです。
こうして無理やり右利きにしましたが、今にして思えば、そこまでして右利きにする必要もなかったのではないかと思います。母も、よく「あの王貞治さんも左利きや。左利きでも何も問題ない」と言っていました。しかし、ここは父が「この子が不利になるといけんから」と譲りませんでした。

現在の私のハンディは字がきたないことです。左右どちらで書いても読めないくらいです。むしろ直すべきは左利きではなく、悪筆だったように思います。これには本当に苦労しています。
もう一つハンディがあります。漢字をおっそろしいくらい知らないことです。「読み」はそこそこなんとかなりますが、「書き」はいけません。小さい頃から、勉強が嫌いで、まったく基礎ができていないのです。
それでも、なんとかこの年まで人前で恥をかかないでこられました。若い頃は、たくさんの打ち合わせや会議に参加する中で、何度も板書をやらされそうになりましたが、なぜかうまくスルーできて、板書は別の人に替わってもらい、自分は違う係をした覚えがあります。
 ですから、字がきたない、漢字が書けないというハンディで損をしたことがありません。一時、おっそろしい数のお礼状や手紙を書いていた時期がありましたが、この世にないぐらいのきたない字でも、本当に心を込めて一生懸命に書くと、それはそれなりに人に喜んでいただけたように思います。
 できないことがあるとハンディのせいにする人がいますが、私はハンディのせいにしたくないし、私の母もそうでした。母は脚に障害がありましたが、それを理由に「できない」と言ったのを聞いたことがありません。
 高知県立盲学校の生徒さんを見てもわかるように、ハンディがあることによる「不利」と「有利」は表裏一体になっているように思います。どこかに「不利」があるということは、必ずどこかに「有利」があります。ハンディにコンプレックスをいだいていたらもったいないと思います。私は、ハンディに関しては妙な自信がありますので、「それは違うよ」と具体的に説明してあげるのが大好きです。