年越しそば
私が四国管財に入社したての頃は、大みそかから元日の早朝まで、深夜作業を入れられて、ゆっくり大みそかを楽しんだことなどありませんでした。
というか12月になると上司が「そろそろ年末大掃除が沢山入るのでお休みは取らない様に」と一切休みが無く大晦日も朝まで作業をしていました。
しかし、入社4年目になると社内の立場も変わり、ようやく大みそかの夜を家で過ごせるようになりました。
そのような折り、私は設備管理の現場を担当することになりました。当時、設備管理の現場には、70歳ぐらいの電気主任技術者の資格をもった方が働いていました。その人から見たら、20代の私は孫みたいなものです。小僧の私が、いくら会社のルールを守ってもらえるようにお願いしても、ほとんど相手にしてもらえません。頻繁にいざこざが起こっていました。
おまけに、もめると「そんなら辞める」と、すぐに伝家の宝刀を抜きますので、それ以上踏み込めませんでした。有資格者の交代要員は簡単には見つからず、辞められて困るのは会社でした。私は、一方的に会社のルールを押しつけることをあきらめました。
まずは相手の話をじっくり聴いてみることにしました。すると、設備管理の仕事は、24時間対応が必要なため、泊まりがけで勤務していることがわかりました。しかも、設備管理業務は、何も問題が起こらないのが当たり前で、何か事故が起こったら大問題になります。つまり、いくらきちんと仕事をしても、それが「当たり前」に思われる現場だったのです。
私は、感謝が足りなかったことに気づきました。立場は変わって、大みそかに深夜勤務をしなくてもよくなりましたが、「自分だけが、家で紅白歌合戦を見ていていいのだろうか」という疑問と罪悪感が生じました。(数年後には仕組みを変えて他社とは違う年末を過ごせる様に変えましたが)
そこで思い付いたのが年越しそばの振る舞いです。せめて年越しそばを持って行ってあげようと考えたのです。調べてみると、当時、6カ所ほど深夜勤務の現場がありました。それなら、1カ所だけじゃなく深夜勤務をしているすべての現場に配ろうと思いました。
当時、そば屋の「湖月」さんは、大みそかの夜まで年越しそばを出していました。高知青年会議所の先輩が「湖月」さんの社長だったこともあり、無理を聞いてもらって、お店が閉店する頃におそばを取りに行きました。すごくおいしい天ぷら付きの年越しそばです。今思い出してもよだれがでそうです。
しかし、内心受け取ってもらえるか不安でした。「こんなもんを若造が持ってきやがって」と怒られるかもしれないと思ったのです。ところが、持って行ってみると、めちゃくちゃ喜んでいただけました。そこから設備管理の人たちとの関係がうそのように良くなりました。やはり、年中無休の現場で働いてくださっている社員さんたちに対する感謝が圧倒的に足りなかったのです。
年越しそばは、警備の現場で働いている社員さんにも配りましたが、そこでも大変に喜んでいただけました。その社員さんは、同じ現場で働いている他社の社員さんに「うちの会社は、こんな差し入れをしてくれるんだぞ」と言わんばかりに、誇らしげに見せていました。
それを見て、翌年から、他社の警備の人や、病院なら夜勤の看護師さんの分まで用意して配るようにしました。思わぬことがありました。年越しそばをもらった他社の警備の人が当社に転職してくれたのです。もちろん下心なんてありませんでした。結果として、情けは人のためならずということでしょうか。
年越しそばの配布数は、どんどん増えていき、10カ所、合計60人前ぐらいになりました。大みそかのうちに配り終えないと意味がないので、8時半から配り始め、NHKの「ゆく年くる年」が始まる前には配り終えていました。これを、社長を退くまで、33年間続けてきました。
私は、今、三翠園で働いています。ホテル業は年中無休の現場です。今年の大みそかから、また、感謝の年越しそばを始めます。
年越しそば後日談
年越しそばの話には後日談があります。「湖月」さんのおいしい手作りそばを20年ほど配っていましたが、残念なことに「湖月」さんは、閉店・移転し、違うスタイルのお店になりました。新しいお店でも、おそばは出していますが、年越しそばはありません。なんとか年越しそばを調達しなければいけません。
お世話になっている量販店のお客さまに相談したところ、引き受けてくださるということなので、年越しそばをその量販店さんに注文することになりました。ところが、その1年目に、大きな失敗をしてしまいました。私は、新しい業者さんだったにもかかわらず、手配を社員さんに丸投げして、いつものように頼んでしまったのです。
配達を終えて、残った1個を味見してみようと容器を開けてびっくり、「うわっ、これ生そばやないの?」「こんなの調理しないと食べられないよ!」。本社で宿直勤務にあたっていた社員さんにも配っていたので、急いで電話して「さっき渡した年越しそばだけど、あれ食べられなかったんじゃない?」と聞くと、「いやいや、なんとか食べられました」と答えました。
「えー、本当に?」。私は、半信半疑でそばを食べてみました。「うわっ」。私が配った年越しそばは、やはり調理しないと食べられない生そばでした。そのままでは、食べられたものではありません。社員さんは優しいので、気を遣ってうそをついてくれたのです。
さて、年が明けました。早速、年越しそばをもらった社員さんから苦情の手紙が届きました。「社長さん! 私たちの仕事を把握されていますか?」「私たちは、調理をしている時間なんかないですよ。こんなものを持ってこられても」。おっしゃる通りです。「ごめんなさい。ちょっと手はずを間違えてしまいました」と平謝りしました。
しかし、内心、社員さんがすぐにクレームをあげてくれたことをうれしく思いました。辛辣(しんらつ)な意見を平気で言ってくださる風土ができたことがうれしかったのです。
今回、年越しそばが失敗した原因は、新しい業者さんだったにも関わらず、社員さんに手配を丸投げし、確認もしなかったことです。今回は、全部自分で発注まですべきでした。猛省しました。
実は、過去に同じような失敗をしたことがあります。あるお客さまを接待した時のことです。社員さんに、「6人で、いつも行くお店に連絡しといて」と言って、手配を丸投げしました。
しかし、お店に行ってびっくり。個室は満員で、人が頻繁に横を通る通路側のテーブル席が予約されていたのです。こんな席でお客さまを接待するなんて、私としてはまったく信じられない話でした。私のなかでは「接待の予約イコール個室の予約」というのが鉄板ルールです。しかし、そんなことなど知らない社員さんは、言われた通りに6人座れる席を確保したのです。席の位置まで指示し、それを確認しなかった私が悪いのです。
こんなこともありました。これもお客さまの接待に関することです。私は、1人1人前ずつ出すのではなく、4人で1人前を分けて食べるというオーダーの仕方をよくします。
ある時、外せない用事で、宴席に遅れて参加することになりました。同席する社員さんに細かく説明して、「1人前を4人に分けて出すようにとか事細かく説明して注文しといてね」と頼んでおいたのですが、席に着いてテーブルを見ると、4人で1人前にすべきものが、4個出ていたり気配りの注文になっていませんでした「えっ、どうして?」と聞くと、社員さんは「お店の人にそう言ったのですが、1人1個で大丈夫ですよと言うので全部任せました」と答えました。
私は、全体の流れをコーディネートして、おいしい料理を少しずつ食べてもらって、最後におなかもいっぱいになるように計算していたのに、すべてが台無しになってしまいました。その時に学んだことは、「せっかく来てくれたのだから、楽しんでもらいたい」という思が強すぎてもその思いを行動する人に伝えてなければ、お店の人にちょっと言われただけで、お店の人が言うのだから間違いないになり言われるがままになってしまうということです。
このときも、何も文句は言いませんでした。人に任せた瞬間に、任せた人の責任になるからです。たまに、「頼んだことができていない!」と、部下に対して激怒する上司や経営者を見かけますが、(私もよく激怒していました)私からすると「頼み方が悪い」「頼んだから悪い」のだと思います。「人に頼んでやってもらうこと」と「自分でやらなければいけないこと」の区別ができていないのです。この点をきちんと区別できていれば、頼む人も頼まれた人も、嫌な思いをしなくてすみます。
話を年越しそばに戻します。年越しそばには、もう一つエピソードがあります。依頼した量販店の担当者は、私が現場の社員さんに配って回ることを知り、サプライズでメーカさんがその年越しそばのパッケージ一つひとつに「来年もがんばりましょう。by社長」というシールを貼ってくださったのです。
その心遣いは、大変ありがたかったのですが、私は「がんばりましょう」とか「ご苦労さま」という言葉は上から目線に思われがちなので極力使わないように心がけています。もし、どうしても一言貼付するなら「ありがとうございます」とか「来年もよろしくお願いします」です。
それから、「by社長」というのもひっかかりました。私は、社長という肩書をほとんど使いません。三翠園では雇われ社長ですから、会社のルールに従っていますが、四国管財では名刺に代表取締役としか書かず、社長という名前は使わないように意識していました。100歩譲って自分のフルネームを書くならともかく、「by社長」はないと思いました。
私は、そのシールを見た瞬間、「これはちょっと配れんな」と思い、店の人にはお礼だけ言って、いったん会社に戻り、1時間ちょっとかけて60個のシールをきれいに全部剝がしてから配りました。
翌年は、年越しそばを注文する際に、「すいません、シールをもし貼っていただけるなら、この内容でお願いします」と言って、自分らしい言葉にしてもらいました。
しかし、やがて時代の流れから、量販店さんでも調理済みのそばを売らなくなってしまいました。人々がコンビニエンスストアで年越しそばを買うようになったからです。引き受けてくれる先をいろいろ探しましたが、高知では見つかりませんでした。やむを得ず、友だちが経営するコンビニエンスストアさんに準備してもらうことにしました。
最後の年は、自分でそばを打って、皆さんに持っていこうと密かに決めていました。そば打ちセットも買って、いろいろ準備していたのですが、窯の大きさに問題があってうまくできません。かなり大きな釜でゆでないと、おいしくできないのです。
年越しそばには、最後の最後にきっちりできず、反省した思いがあります。