突然社長になった母
母は、昭和6年1月1日生まれです。元日という大変おめでたい日に生まれました。母はそのことについて、「誕生日が元日だと、毎年、来客などでバタバタしてしまって、誕生日をお祝いしてもらった記憶がない」と言っていましたので、あまり自分の誕生日を味わえなかったようです。
今回は、そんな母が突然社長になった時のことをお話ししたいと思います。社長である父は、私が中学2年生の時、スキルス胃がんで入院し、わずか一カ月ほどで亡くなってしまいました。葬儀を終えて、「さあ会社をどうしよう」となった時、母は「私がやります」と宣言して、みんなをビックリさせました。生前、父から「自分に万一の時は、会社と子どもたちを守ってほしい」と頼まれていたようです。
母はずっと専業主婦をしており、経営にはまったく携わってきませんでした。経営について、右も左もわからない母が、社内をまとめたり、同業者の寄り合いに出たりしたのですから、大変しんどかったことでしょう。その時のことについては、あまり話しませんでしたが、ある日、「昔、大変やったけど、あんたが入社するまでは、なにくそという気持ちで毎日出社したり、いろいろな会合に出たりして大変やったよ」と話してくれたことがあります。
当時、母には障がいがありました。40歳の時に(私が小学1年生)、患っていた股関節が悪化して、つえなしでは生活できなくなっていたのです。それをおしての社長業ですから、人一倍大変だったと思います。
同業者の集まりには、女性経営者の会などもありました。母はそういう会に呼んでもらい、女性経営者さんたちに懇意にしてもらったそうです。ありがたいことです。中には、自分と同じようにご主人を早くに亡くした人もいて、お互いに励まし合っていたといいます。
ご主人の跡を夫人が継いだ場合、独特の苦労があるようです。同業者の中には、ご主人が社長をしていた時の番頭さんとうまくいかず、がんばればがんばるほど番頭さんの反発を買い、ついには既存のお客さんや社員たちを引き連れて独立されてしまったところもあるようです。
そんな話も聞いていますので、ご主人を亡くした女性経営者さんが奮闘している姿を見ると、母を思い出し、本当に頭が下がります。
私にとって、女性経営者の苦労は他人(ひと)ごとではありません。何かお手伝いしたいと常日頃から思っています。いつでもご相談にのりますので、遠慮なくご連絡ください。