期待ではなく信頼する

居酒屋などで飲んでいると、たまに「時間をかけて資料までそろえてあげたのに」とか「あんなに教えてあげたのに」などと、部下に腹を立てている上司らしい人を見かけます。よほど期待していたのでしょう。「裏切られた」という気持ちが強いほど、イライラするものです。かくいう私も、若い頃は人に期待しまくって、しょっちゅうイライラしていました。
この点、私がメンターと仰いでいる福島正伸先生は、「期待とは相手を思い通りにしたいという願望である」と定義し、「他人や環境というものは、決して思い通りにならないため、他人や環境に期待すればするほど、不満となって自分に蓄積されていく」とおっしゃっています。まさにそうだと思います。
私は、これまでたくさん人に期待して裏切られてきました。しかし、それは期待をかけた相手が悪いのではなく、勝手に期待した私が間違っていたのです。
他人や環境は変えられませんが、自分はいかようにも変えられます。ですから、期待すべき相手は、「他人ではなく自分」だったのです。人は期待する対象ではありません。

それでは、人にはどう向き合えばいいのでしょうか。答えは「信頼する」です。私はそれしかないと思います。
そもそも、どうがんばっても他人は理解できません。なぜなら、もって生まれた気質が異なりますし、生まれてから今日までの体験や経験も異なります。体験や経験によって、その人固有の価値観が形成されますので、同じ体験や経験をしていない以上、その人の価値観をまるごと理解することはそもそもできないのです。
会社の人間関係も同じです。実は、上司は(何を考えているか理解できない)部下に仕事を任せているのです。そう考えてみると、上司にできることは「期待」ではなく「信じる」しかないと思うのです。
信じるとは、相手を受け入れることです。「信じる」を辞書で調べると「疑わずに、本当と思い込む」(三省堂国語辞典)と書いてあります。信じられるかどうかは関係なく、信じると決めて、そう「思い込む」ことが大事なのだと思います。
「そんなことできっこない」と思うかもしれませんが、完璧でなくてもいいのです。福島正伸先生は、「人を受け入れるのは、簡単なことではありません。しかし、100%信頼できなくても、今より1%信頼しようとすることならできると思います。そういう努力が信頼につながっていきます。1%信頼しようという気持ちをもつことで、人間関係は大きく変わっていく」とおっしゃっています。

しかし、ただ信じてさえいれば、部下は成果を上げられるというものでもありません。何もせず、ただ信じているだけでは、成り行き任せの「放任」になってしまいます。これでは人は育ちません。人を育てるためには、三つのステップが必要です。
最初は「見本」を示すことからです。上司がやって見せることで、「自分にもできそうだ」と思ってもらえます。
次に「信頼」です。「大丈夫!君ならきっとできるよ」と信じてあげることで、部下は「やる気」が出ます。人は、勝手に「期待」されても迷惑しか感じませんが、自分を「信頼」してくれた人に対しては、一生懸命に応えようとするものです。
 最後は「支援」です。このステップでようやく「やり方」を教えます。「あんなに教えてあげたのに、なぜできないんだ」と憤る人は、実は、「見本」と「信頼」のステップが抜けていたのかもしれません。
 ただし、中にはこうしたステップを踏んで支援しても、相手が思ったように実践してくれないこともあります。そのようなときは、自己責任の姿勢で受け止めて、部下はわざわざ「私のいたらなかった点」を教えてくれたのだと考えるようにしています。
その「いたらなかった点」は何かというと、一つは、私の情熱不足です。相手を動かすだけの情熱をかけて向き合っていなかったということです。実際、ちゃっちゃっとお願いした案件と、情熱をかけてじっくりお願いした案件とでは、成果物に雲泥の差が生じます。
もう一つは、「こう説明したら、当然、きちんと書類にまとめられるだろう」といった勝手な思い込みです。「自分なら~」「当然~」というように、人は意識しないと自分を中心に物事を考えがちです。しかし、他人は自分と同じ価値観をもっているわけではありません。人に何かを頼む際は、それを意識する必要があります。
 例えば、エクセルで表を作ってもらう場合、「この結果を表にしてください」などとザックリ依頼するのではなく、「こういうことを訴求したいから、数字の変化が一目でわかるように、この数字とあの数字を使って、折れ線グラフにしてください」というように丁寧に依頼します。
 これは、私が尊敬するネッツトヨタ南国 取締役相談役の横田英毅さんに教えていただいたことですが、できない社員さんがいたら、その人にレッテルを貼って、仕事ができない社員さんのグループに入れるのではなく、「なぜ、この人はこういう仕事の仕方をするのだろう?」と考えるようにしています。すると、ほとんどの場合、仕事の「指示」の仕方に問題があったことがわかります。
これはクレームでも同じです。私は、過去に発生したミスやクレームの原因を調べたことがありますが、原因をたどっていくと、すべて会社に責任があることがわかりました。会社で一番の責任者は社長ですから、すべての責任は私にあったということです。
もし、相手にわかるようにかみ砕いて説明してお願いしても、思ったような仕事をしてもらえなかった場合は、「そうきたか!」「まだ、私にぬかっていた点があったのか!」と受け止めるようにしています。
例えば、その仕事は、私にとっては画期的なことで、経費も節減でき、会社もよくなり、お客さまにも感動していただけることだとしても、全て私が勝手にイメージしているに過ぎません。それが相手に伝わらなければ、当然、思ったものと違った成果物が出てきます。「いかに画期的なものなのか」を伝える工夫と情熱が足りなかったということです。クレームはラッキーコールです。私のいたらない点を細かく教えてくれます。本当にそう思っているので、「そうきたか!」と受け止めることができます。

三翠園では、今、社内報づくりを通じて、社員さんとコミュニケーションのキャッチボールをしています。まず、社員さんには、自分たちで思ったように作っていただきます。最初は、私の思いとかなり違ったものができてきます。そこからやり取りを重ねて、何度も何度も直していただきます。
このやり方は前職の四国管財でも行っていた手法です。そのときも、最初はすべてのページに赤字が入りましたが、だんだんと私の赤が入らなくなりました。コミュニケーションのキャッチボールを重ねていくうちに、「なぜこれを大切にしているのか」「どうしてそうしたいのか」という意図が以心伝心で通じるようになったからです。つまり価値観が共有できたということです。ここまでくると、一緒に経営をしているのと同じになります。三翠園の社内報は、まだその段階には至っていませんが、社内報作りを通じて、経営の価値観を早くみんなと共有したいと思っています。