二つの苦手なもの

私は若い頃から苦手なものが二つあります。それは献杯とネクタイです。
高知県には「献杯」「返杯」という酒文化があります。献杯とは、自分の杯にお酒を注いで飲み干してから、上司や目上の方へ自分の杯を献上してお酒を注ぐことをいい、「返杯」とは「献杯」を受けた方がお酒を飲み干して、その杯を再び相手に返してお酒を注ぐことをいいます。
私は、若い頃からこの高知の文化が苦手で、同じ杯にお酒を注ぎ合うのは不潔だとずっと思っていました。しかし、社会人になりたての若造が、酒宴の席で先輩に「献杯はしません」などと言おうものなら、「なんだと!」と大変な騒動になります。
ある時、しつこく返杯を求められたことがありました。ほとほと嫌気が差した私は、つい、その先輩に「すみませんが、エイズがうつるから嫌です」と言ってしまいました。
私が社会人になった1985年は、日本で初めてHIV陽性者が認定された年でした。マスコミ各社によって、エイズはセンセーショナルに取り上げられ、世間は「エイズパニック」に陥っていました。
エイズ(後天性免疫不全症候群)とは、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)によって体の免疫力が低下し、その結果として、日和見(ひよりみ)感染症など様々な合併症が出た状態をいいます。
高知県でも85年から88年の間に3件のHIV感染者が出て大騒ぎになりました。「エイズ患者さんが入院している病院には行きたくない」とか「献杯でエイズがうつる」など、デマがたくさん流布されました。
そのような中でしたから、「エイズにうつりたくない」と言えば先輩も献杯を許してくれると思ったのです。ところが、あに図らんや先輩は激怒し、一触即発の事態になりました。しかも、かなり根に持たれたようで、いまだに私を見ると「お前は人の返杯を断った」と冗談で恨み言を並べます。
このようにかなり高知に根付いた「献杯」ですが、コロナ禍を経て県民の意識はだいぶ変化したようです。高知新聞の調べによると、否定派が8割に達したといいます。これで、ようやく私も大手を振って「すみませんが自分のグラスでやります」と言えるようになりました。

苦手なことの二つ目はネクタイです。高知県の夏は、湿度という観点でみると、もしかしたらインドより蒸し暑いのではないかと思うほど、高知の夏は暑いです。そのような風土ですから、ネクタイの着用は本当にしんどいものがあります。
私の高校時代の制服は、詰め襟の学生服ではなく、ブレザー・パンツにネクタイでした。その頃から、ビートたけしさんではないですが、首が窮屈で仕方ありませんでした。私は、首を圧迫されると悲鳴を上げたくなるたちですから、ネクタイは大嫌いでした。
社会人になってからも、背広にネクタイ姿が本当に苦手で、20代前半から、スーツを着なければいけないときは、率先してクールビズ(衣服の軽装化)を実践していました。今は、ネクタイをしている人が珍しいぐらいの世の中になってきましたが、当時は、「クールビズです」と言っても、多くの先輩方から「マナー知らずめ」と怒られたものです。

私が、三翠園に着任した時、社員さんの身なりがだらしなく見えました。クールビズというより、だらしなさが気になる着こなしでした。私たちは接客業ですから、ここはピシッとネクタイをするべきだと思いました。
とはいえ、現場も知らない私が、いきなり社員さんにネクタイ着用を求めることはできません。そこで、まずはネクタイが大嫌いな私が、1年間ネクタイを着用して仕事をしてみることにしました。真夏の花火大会の日もネクタイをして働きました。
その結果、思ったより外での作業は多くなく、館内に入れば冷房も効いていますので、ネクタイをしていてもそれほど苦にならないことがわかりました。
そこで、社員のみなさんに「すみませんが、これからはネクタイを着用して仕事をしてください。事務所などのバックヤードにいる時はしなくても構いませんが、お客さまの前に立つ時はネクタイを締めて、きちっとした服装で仕事に臨みましょう」とお願いしました。
現在、三翠園は全員がネクタイを着用しています。もちろん、私も大嫌いなネクタイを毎日締め、バシッと決めて??お客さまの前に立っています。