甲子園球場誕生100周年

高校野球の聖地、甲子園球場は2024年8月1日、開場100周年を迎えました。高校野球は、1915年に「全国中等学校優勝野球大会」として始まり、100年を超える歴史を積み重ねてきました。現在、毎年、選抜高等学校野球大会(春)と全国高等学校野球選手権大会(夏)が開催されています。
今年の高校野球は、「結構、番狂わせがあって非常に面白い」といわれています。しかし「番狂わせ」とは、あくまでも「過去」の実績(出場回数、優勝回数、勝利数)に基づく評価ですから、言われたチームにしてみれば失礼な表現だと思います。
ドイツの元サッカー選手フランツ・ベッケンバウアーの言葉に「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」という名言がありますが、高校野球にも同じことがいえます。強豪チームが必ずしも勝つとは限らないからです。番狂わせどころか、常に何が起こるかわかりません。そこが高校野球の醍醐味(だいごみ)だと思います。
私は、毎年、高校野球の時期になると胸が高鳴ります。それぐらいの大ファンです。たまに、「高校野球史に残る名シーンを振り返る」というようなテレビ番組がありますが、「このファインプレーは見た」「あの感動的なシーンも見た」というくらい、高校野球を見てきたものです。
 
 長年、高校野球を見ていると時代の変化を感じることがあります。その一つはバットです。高校野球で金属製バットが使用できるようになったのは、1974年の第46回選抜大会の後からでした。翌年の第47回選抜高等学校野球大会(春)では、地元の高知高校が優勝しましたが、当時の主力選手たちは木製バットを使っていたことを覚えています。私は中学1年生でした。その後、金属製バットは急激に高校野球界を席巻したのです。
 しかし、後にこれが世界の後塵(こうじん)を拝すことにつながりました。1981年、アメリカで世界野球選手権大会が始まりました。「18U(AAA)世界野球選手権大会」(現在のWBSC U-18ワールドカップ)です。日本が、この世界大会に甲子園出場選手を含めて参加したのは、2004年の第21回大会からでした。しかし、この大会から木製バットが採用されることとなり、金属製バットしか使ってこなかった高校球児たちは、実力を発揮できませんでした。
 外国勢に体格で劣る日本は、ピッチャーがいくら速い球を投げても、当たればホームランにされますから、長い間、世界の壁を越えられませんでした。
その壁を越えられたのは2023年でした。名将の明徳義塾の馬渕監督がパワーヒッターに大振りをさせず、バンドも多用しピッチャーも緩急をつけたスモールベースボールで外国勢を圧倒しました。こうして、「日本の高校野球の力を世界に示す」という悲願は達成できたのです。

 もう一つ、時代の変化を感じることがあります。それは暑さ対策です。私の学生時代は、「練習中に水を飲むな」と厳命されたものです。今から思うと、あれは何だったのかと思いますが、よくあれで頑張れたものです。今、生徒にそんなことを言ったら間違いなく虐待になります。
甲子園の夏は灼熱(しゃくねつ)地獄です。日本高等学校野球連盟(高野連)は、これまでも暑さ対策として、決勝の開始時間を午後2時に繰り下げたり、開会式や試合途中に給水時間を設けたり、大会期間中の休養日を1日増やしたりしてきました。
昨年からは、5回終了後に「クーリングタイム」を導入し、最大10分の休息をとれるようにしました。加えて、今年の夏は、試合を午前と夕方に分けて行う2部制を一部導入しました。
 暑さ対策なら、高校野球を「大阪ドーム(京セラドーム大阪)」や「札幌ドーム(大和ハウス プレミストドーム)」でやればいいじゃないかという声もあるようですが、そもそも甲子園球場は高校野球のために建設された球場です。安易に暑さ対策だからといって、会場変更することはできません。
NHK関西NEWS WEB「開場から100周年 甲子園球場“生みの親”の資料が語る秘話」と日本経済新聞「甲子園を造った三崎省三 阪神電鉄の代表 野球への情熱を明らかに 丸山健夫」の記事によると、甲子園球場の生みの親は三崎省三さんで、彼は阪神電鉄の代表取締役を務め、甲子園球場の建設や周辺のリゾート開発を先頭に立って推進したそうです。
彼は、19歳から8年間アメリカに留学して電気工学を学びました。その間、友人たちがスポーツを楽しむ姿に接します。中でも野球に感銘を受けたそうです。すでにプロのリーグもあり、盛んだったそうです。
彼はお孫さんに「在米中、人種差別を受けた。肌の色が違い背が小さいのでもっと日本人の体格を良くしなければと思った。野球は日本人の体格、体力の向上の為のスポーツとして良いと思った」と語っています。
彼は、日本に野球を広めたいという夢を胸に帰国。やがて阪神電鉄に鉄道建設の総責任者として招かれ、大阪・神戸間の電車開通に尽力するなど活躍します。そして、夢をかなえる機会がやってきました。
高校野球は、1915年に「全国中等学校優勝野球大会」として始まりました。当初、大阪の豊中グラウンドで開催していましたが、もっと大きな会場を探していました。誘致したのは、鳴尾運動場を所有していた阪神電鉄です。やがて、大会は人気となり、さらに大きな球場が必要となりました。
こうして、1924年3月、日本で初めての本格的な野球場の建設が始まったのです。高校野球のための新球場は、その年の8月1日に完成しました。1924年は、干支(えと)でいう「甲」と「子」が合わさる60年に1度の「吉祥年」(甲子)だったことから「甲子園」と名づけられました。
こうして甲子園球場を誕生させた三崎さんですが、彼は「誰がたてたのか、ではなく(名声がほしいのではなく)、誰もが使え、楽しんでもらえ、役に立つものが創りたかった」と語っていたそうです。

 現在、高校野球は公益事業として行われています。放映権料は無料、入場料収入は大会準備費、出場選手費、大会役員関係費、大会費、大会史制作費、地方大会費、連盟運営費、感染対策費などに使われ、剰余金は野球関連の助成金や基金に配分されています(高野連)。
 さて、甲子園球場の使用料ですが、所有・運営している阪神電気鉄道株式会社は、野球振興に貢献するためとして、今日まで無償で球場を提供し続けているそうです。高校野球の背景には、多くの人の熱意や夢や善意があったのですね。
いよいよ、第106回全国高等学校野球選手権大会は、明日、決勝戦を迎えます。今夏は、どんなドラマを見せてくれるでしょうか。