困った会議
会議では、よく、困ったことが起こります。一つは、会議が振り出しに戻ってしまい、少しも決まらないことです。
誰が考えても「それはやっとかんといかんね」ということは問題なく決まりますが、「これやらないよりはやった方がいいね」「これは将来的にやっとかんといかんね」という案件は、往々にして意見がまとまりません。
原因は、議論を尽くして「さあ決めよう」という段になって、振り出しに戻すような意見を言って、足を引っ張る人がいるからです。「今になってそれを言うか?」「それは最初の段階で言うとけよ」と言いたくなります。
この手の人は、会議の終盤まで議論の成り行きを静観していて、その提案の弱点を見つけ出し、いよいよ決めようという段になって、ぽろっと自分の意見を言って振り出しに戻します。その人はなぜこんなことをするのかというと、自分の存在感を示したいのだと思います。「俺は問題点にちゃんと気づいていたんや」と自己主張したいのでしょう。
問題点があれば、議論していく過程で言えばいいのです。そのための会議です。気づいた時に言ってもらえば、解決方法を盛り込んだ企画にブラッシュアップすることができます。これは時間のムダですから、組織にとってもったいないことです。当人にとってももったいないことだと思います。せっかくの秀でた能力を、みんなの足を引っ張って存在感を示すことに使うのではなく、いい会社にするために使うべきです。その方が、結果として、みんなに一目置かれる存在になれると思います。これはネッツトヨタ南国の横田英毅さんもよくおっしゃっていますが「頭の使い方が間違っている」と思います。
私のメンターの福島正伸先生は、会議でアイデアが出なくなる原因として「アイデア・キラー」の存在を挙げています。「アイデア・キラー」とは、参加者のアイデアを「そんなのできっこないに決まっている」などと頭ごなしに否定する人です。こういう人がいると、参加者はみんなの前で否定されて恥をかきたくないのでアイデアを出さなくなります。
私は、会議の終盤にちゃぶ台返しする人を「意思決定・キラー」と呼んでいます。「意思決定・キラー」がいると、決めなければいけないことが決まらなくなり、結果、会議が台無しになってしまいます。
もう一つの困ったことは、そもそも選択肢がないことです。会社における意思決定は、思いつきでしているわけではありません。最善策を導き出すために、考え得る選択肢を一つずつ検討していきます。例えば、ある設備機械が壊れそうだとします。壊れるまでそのまま使うか、それとも早めに修繕しておくか、選択肢を検討して意思決定します。
ところが、三翠園の会議の議題には、選択の余地すらないものも散見されます。先ほどの設備機械の例でいうと、壊れたら商売が成り立たなくなる重要な機械です。これは修繕するしかありません。つまり選択肢がないのです。
三翠園には、こうした選択肢のない問題がたくさんあります。どうしてそのような問題が山積しているのかというと、過去、その問題が発覚した時点で対処すべきだったことを、「すぐやらなくてもいいだろう」「次の経営者がやればいい」などと考えて、ずっと問題の先送りをしてきたからです。それらが山積しているのが三翠園の現状です。
経営再建計画は、ほぼ予定通りというか、おかげさまで予定以上の成果を挙げていますが、一番のリスクは、この選択肢のない問題が知らないうちに進行し、どこかで勃発することです。
問題によっては、猶予期間が10年くらいあるものもあります。だからといって安易に先送りしていたら、10年後の経営者に選択肢のない問題を置き土産していくようなものです。それは無責任だと思います。
今の経営陣は、何年か後に勃発する問題は、選択肢がない問題ととらえ、予算をどこかから絞り出し、やるべき優先順位を変えてでも取り組んでいこうとしています。後の世代に負の遺産は残しません。
日本は、年金問題、少子化問題、デフレ問題に苦しんでいますが、こうしたことも政治が後の世代に託して逃げてきたために起こったことだと思います。国からして先送りをしているのですからあきれてしまいますが、三翠園は、選択肢のない問題を後世に残さないように踏ん張りたいと思います。