行けたら行く
私はいろいろな会のパシリ役を引き受けることがよくあります。「〇〇をやってくださる人はいませんか?」と呼びかけられると、つい「はいはい、僕やります」と安請け合いしてしまう性格もあって、何かの役になることが多かったのです。依頼する担当者の苦労はよくわかっていますので
宴会などで一番苦労するのは参加者の出欠確認でした。最近はもう慣れてしまいましたが、若い頃は「行けたら行く」という返事に閉口したものです。
同窓会の幹事をした時のことです。「行けたら行く」と言われたので、参加するものとしてカウントしたら、当日、ドタキャンされました。お店に迷惑をかけるわけにもいかず、楽しいはずの同窓会が嫌な思い出になってしまったことを覚えています。
社会人になってからも、そういうことが続きました。それを顕著に感じたのは、高知青年会議所のメンバーだった時です。高知青年会議所には、まちづくりについて大変いろいろ教えていただき感謝しかありません。後輩にもがんばってもらいたいと思っています。しかし、一つだけ嫌なことがありました。それは時間と出欠にルーズだったことです。
例えば委員会の集合時間が19時なのに21時になっても来ない人がいました。その後の飲み会だけ来る人もいたのです。しかし、その飲み会もドタキャンが多く、本当に困りました。
代々、先輩から引き継がれてきた「うまい宴会の運営方法」というのがありました。それはドタキャンを見越して参加費を高めに設定し、差額でドタキャンによる会費不足を補うというものでした。
しかし、これでは真面目に参加したメンバーが損をします。社会常識に照らしてみてもおかしなことです。
お客さまのパーティーに参加することがよくありますが、やむを得ず出席できなくなることもあります。そのような時には、必ず「急用のため、出席できなくなってしまいました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。参加費については負担させていただきますのでよろしくお願いいたします」などと、きちんと連絡を入れて、費用の負担もしています。
しかし、身内の集まりとなると、ドタキャンしても平気で、費用負担についても知らん顔というのは、おかしいと思いました。相手によって態度を使い分けているとしか思えません。
このあしき慣習は、私が高知青年会議所の理事長になった時に改め、当日ドタキャンした人にも参加費を払ってもらう決まりにしました。請求する専務理事は大変だったと思いますが今でも続いています。