先生の間違い
小学校3年生の時、父に「日本の軍艦」という本を買ってもらいました。当時で3000円ぐらいしたと思います。その本には、「霧島」「武蔵」といった有名な戦艦だけでなく、幻の戦艦「土佐」や駆逐艦、潜水艦に至る日本海軍の全ての艦船が収録されていました。今、あの本を持っていたら、間違いなくお宝になっていたでしょう。
私は、じっくり本を読んだり勉強したりするのは苦手ですが、興味があるものについては夢中で読んだものです。当時は、艦船のシルエットを見れば、船の名前を当てられたぐらいです。
小学校の高学年になると、興味の対象は飛行機に移ります。今でも覚えていますが、「航空ジャーナル」とか「ヒコーキ野郎」とか「航空情報」などの専門雑誌を読みあさっていました。私のお小遣いは飛行機関係で消えます。年に1回、「世界の航空機図鑑」という本が発刊されましたが、この本は特にお気に入りで、食い入るように読みました。
旧ソ連の飛行機は、名前が覚えにくいものです。しかし、MiG-25戦闘機だけは、ソ連の軍人が北海道の函館空港に強行着陸して話題になったことから、誰でも知っていると思います。私は、ミグはもちろんのこと、第2次大戦中のソ連の主力戦闘機ヤコブレフとか、その後継機のスホーイなどを、大体の形やエンジンの位置、操縦席の風防の形で識別できました。
こう書くとミリタリーおたくと思われるかもしれませんが、実は、旅客機が大好きなのです。本当に好きで、細かなことまで覚えていて、周りを驚かせ(あきれさせ)たものです。
旅客機マニアといえる小学生でしたが、それゆえに同級生と口論になったことがあります。口論の原因は、「旅客機が着陸する際、前輪から着地するか、後輪から着地するか」でした。
当時は、戦争映画や戦争アニメをテレビで放映していた時代です。戦記アニメ「決断」は、私にとって衝撃的で、実は5年ぐらい前にDVDを全編大人買いして見直したくらい好きでした。そのアニメにも描かれていますが、昔の戦闘機は、前のタイヤが二つで後ろが一つでしたから、前のタイヤから着陸していました。
同級生の友だちも戦記アニメ「決断」を見ていたのでしょう。旅客機も前輪から着陸するものだと思い込んでいました。私は飛行機に乗ったことがあったので、「そんなことあるわけないやん」と言いましたが、友だちは「絶対に後輪が先や」と言い張ります。
小学生のころは、けんかの行司役といったら先生です。「じゃあ先生に聞きに行こうじゃないか」となりました。私は絶対の自信があったのですが、先生は「それは、もう間違いなく前のタイヤから降りるに決まってるんや」と言いました。それを聞いた友だちは、勝ち誇ったように「ほらね、お前はそんなことも知らないんだ」みたいにバカにしました。
この時、「あー、先生でも間違えるんだ」「先生も知らないことがあるんだ」とわかり、衝撃を受けました。絶対だと思っていた先生は、絶対ではなかったのです。「これからは先生を基準にしたらいかんなあ」と、小学生ながらに学んだものです。
四国管財では、ミスやクレームに関するラッキーコールのうち、社員さんからの自己申告が約85%を占めています。当社は、黙っていれば絶対に発覚しないような小さなミスでも社員さんからホウ・レン・ソウが上がってきます。
「ミスやクレームの原因はすべて会社にあります。皆さんに責任はありません。皆さんは、至らない会社の犠牲者なのです」と公言し、勇気を出して自己申告してくれた人を称賛してきました。こうすることで、会社にとって耳の痛い話を社員さんが上げてくれる風土をつくっていったのです。
しかし、今にして思えば、ホウ・レン・ソウの仕組みの大前提となる「どんな人でも間違いをするものだ」という考え方は、「あの時の学び」が発端になっているのかもしれません。我が三翠園でも心理的安心して自らのミスを言える様な会社にしたいです.
※写真は高知県で一番歴史が古い400年企業の司牡丹の竹村社長です 西暦から誕生日が同じです。