伝説のエール
私は、今まで実に多くの人に応援されてきたことを、三翠園の社長就任にあたって、つくづく有り難く思い出しました。いくつかそのご恩をご紹介します。
私の中学校の同級生に、「D.A」という店名のショットバーを四十年近く経営している人はがいます。彼は、カリスマ的資質を持つマスターとして、ショットバーの世界では、ちょっと有名です。何の会にも属さず、名刺も作らず、携帯も持たず、孤高の侍のような、といえば褒めすぎでしょうか。出しゃばらず、気取らず、自分のスタンスを守り続けています。
そのような彼に、一度、無理なお願いをしたことがあります。高知ロータリークラブの「卓話」スピーカーの依頼です。
ロータリークラブの例会には、「卓話」というスピーチの時間があります。「卓話」は、会員の視野を広げたり、新たな知識を得たりすることを目的としており、会員が自分の職業やロータリーなどについて話をすることもあれば、会員以外の人を招いて話をしてもらうこともあります。
同級生の彼は、孤高の侍です。人の前に出たり、仕切ったりするのが大嫌いです。彼を知る人なら、誰しも、「絶対に、講演なんか引き受けるはずがない」と思うでしょう。ところが、「中澤の役に立つなら」と二つ返事で引き受けてくれたのです。これには、依頼した私が、まずビックリ、次に卓話を聞いた皆がビックリでした。これは伝説の「卓話」となりました。
そして三翠園の社長の就任を知ると「一番高い部屋と料理を予約して欲しいと」
いきなり頼まれ宿泊もしてくれました。感謝しかありません
もう一つ、私が受けた沢山のご恩の中でのお話しします。かつて、高知には、“夜の商工会議所”といわれた伝説の小料理屋さんの「こより」というお店がありました。そこは会員制の様なお店で、経済界の重鎮や全国の著名人の方が安心して遊べる夜の社交場でした。毎夜、雲の上の先輩たちが集う憩いの場として、または情報交換や勉強の場として賑わっていました。
この店をこよなく愛したお一人の故吉村浩二先輩(金高堂書店の元代表取締役)は、よく私にこう話していました。
「中澤君、この店のいいところがわかるかい? この店はセキュリティーが高いんだよ。いろいろな著名人をお連れしても、サインをねだったり、写真を撮ったりするような人は誰もいないんだ。だから安心できるんだよ」
私は、その伝説のお店に、ご縁があって出入りさせていただきました。当時、私は40歳前後だったと思いますが、私が知る限り私が最年少の常連のメンバーでした。
そのお店を取り仕切っていたのは、オーナーの杉本紀子さんです。ある夜のこと、私は、アルコールの助けをかなり借りて、「もし、僕が高知青年会議所の理事長になったら、会議所で講演をお願いできますか?」と失礼なお願いを口にしてしまいました。当然、受け流されると思っていましたが、さにあらず「いいわよ。あなたのためならしてあげる」とおっしゃるではありませんか。その言い方もあって、私の心臓はこれ以上ないほど高鳴りました。
この快挙に、高知青年会議所の先輩たちは色めき立ちます。どうやって口説いたのかしつこく聞かれましたが、記憶が定かではありません。
さて、紀子さんは講演など絶対に受けない方ですから、どうやって講演していただくか思案しました。結局、通常の講演形式ではなく、質疑応答形式にしました。その方が、皆も聞きたいことが聞けると思ったからです。
さて、当日、紀子さんは「私に聞いてみたいことがあったら、遠慮なくどんなことでもお聞きください。ご質問をどんどんお受けします」と呼びかけました。
しかし、予想に反して聴衆の反応がよくありませんとうか素晴らしいオーラに皆、恐る恐る質問しています。完全に気後れしてしまったのです。場数を踏んだ紀子さんとわれわれの格の違いは歴然でした。二度とない機会にもかかわらず、「おお、いい質問きたね」と紀子さんがうなることは一度もありませんでした。
紀子さんには、この他にも応援していただきました。紀子さんのご縁で、あるビルのオーナーをご紹介いただき、そのおかげで四国管財として初めてのマンション管理業務を請け負うことができたのです。そこは、障がい者や高齢者に優しいマンションとして今や誰もが知っている帯屋町チェントロです。本当に有り難い限りです。
伝説の「こより」さんは閉店し、今はありません。杉本さんがお店を閉めると決めた時に先輩方が宴をホテルで開催されましたが高知の経済界の重鎮が恐ろしい数の押し寄せ、今までの感謝を伝えられました。これも伝説となっています。
この様なもうお店は絶対に出てこないでしょう
※写真はもう絶対に見る事ができない図書館の建築写真とDAの素敵なカウンター