三翠園のお稲荷様
三翠園では、お庭にお稲荷様をお祀りしています。
私が社長になって2カ月あまりですが、その間、いろいろな人が「もっとお稲荷様をきれいにした方がいいよ」「このお稲荷様はどんな縁起でこちらに祀られているの?」などと、気にかけてくださいました。
お稲荷様の横の縁起立て札には、「土佐稲荷由縁」として、次のように記されています。
「土佐十二代藩主山内豊資公が、京都伏見稲荷大社よりこの藩邸内に稲荷神社を分霊遷座して、土佐二十四万石の富国繁昌を祈念した。その後、神社は土佐大津村に転祀され、土佐稲荷神社となった。この稲荷は往年の由来に基づいて、再度このゆかりの地内に分祀として奉迎し、御来客の御繁栄と当社の安泰を祈願したもの」(簡略)
これ以上のことはわかりません。今度、土佐稲荷神社さんにご連絡して、分祀の経緯などについてお話をお伺いしたいと思います。
なお、このお稲荷様の背後には、三翠園の御神木ともいえる巨大な椋の木がドーンとそびえ立ち、わが三翠園を見守っています。なぜか、この椋の木を見上げると安心します。いつしか、毎日、お稲荷様と御神木へお参りするのが私の日課になりました。
さて、ここのところ、ずっとお稲荷様を気にしていたら、お稲荷様の鳥居下の石段脇に大きな石碑があることに気づきました。すべて漢字で記されており、何が書いてあるのか私には、さっぱりわかりません。石川会長に聞いたところ、前々社長(元高知市長)の松尾さんが、それをきっちり調べたということがわかりました。しかし、その時の資料がどこにあるのかわかりません。
高知県庁の文化生活スポーツ部の歴史文化財課に電話して問い合わせたところ、「じゃあ今から見に行きましょう」ということになって、すぐ見に来てくださいました。その場で、読めるところだけ読んでいただきましたが、それによると、三翠園が開業した1949年(昭和24年)からさかのぼること42年前の1907年(明治40年)の話であり、どうやらこの地の縁起を記した石碑のようだということがわかりました。
これは三翠園にとっても大事なものです。清掃業に携わっていた者として、すぐきれいにしたくなるのですが、遺跡を素人が触ると傷つけてしまいかねません。専門家の指導を仰いだ上で、きれいにして、拓本をとって、現代語訳も依頼しようと思います。
この石碑は、本来、違う場所に建立されていたようですが、今は、この場所でひっそりたたずんでいます。現代語訳ができたら、皆さんに石碑とともに見ていただけるように何か考えたいと思います。追伸石碑のお掃除は無事終了しました。
※写真はご神木の周りに呼吸がしやすい様に竹炭を埋めて椋の木のパワーを感じ ている所です。