こだわりの社内報

三翠園の社内報は、おかげさまでなんとか19号を数えるところまできました。
三翠園の社内報を作るにあたって、私が最初にしたことは、社内報の名前をつけることでした。社内報は、社員さんと会社とのコミュニケーション・ツールにしたいと思っていましたので、名前は社員さんに決めていただこうと考えました。こうして公募した結果、2人の社員さんのアイデアを足し合わせた名前に決定しました。
誌面作りについては、私に社内報を制作するスキルがなかったことから、最初は“なんちゃって社内報”というような代物でした。A4の用紙にワープロ打ちしたもので、自分の思いを伝え、「何かあったら連絡してください」とお願いするだけの内容でした。イラストも写真もなく、文字をベタ打ちしただけの無味乾燥な社内報です。
その後、前職の会社から、社内報づくりに長(た)けたスタッフさんがきてくださったおかげで、前職と同じようなノリで社内報を作れるようになりました。こうして、少しずつ誌面のバージョンアップを重ね、今日の形になったのです。
 
 私が、前職で社内報『つもろう』を創刊したのは1993年4月でした。今から31年程前になります。創刊時は、手書きのガリ版印刷でした。B5判の用紙に半ページ程度の内容からスタートした覚えがあります。
 途中から見てくれにもこだわるようになり、印刷会社さんに印刷をお願いするようになりました。しかし、印刷を外注すると見栄えはよくなるのですが、校了から発刊までに時間がかかるため、タイムリーな記事を載せられません。仕方なく、印刷を内製化に戻し、自社の印刷機(コピー機)で制作するようになりました。
今なら、激安ネット印刷のプリントパックなどがあります。おっそろしい速さと驚きの価格で印刷ができてしまいますので、デメリットは何もありません。しかし、昔はこのような仕組みがありませんでしたから、印刷で大変苦労した覚えがあります。
 当時、業界新聞には同業他社の社内報を紹介するコーナーがありました。そのコーナーには、全国から30社ぐらいの会社が投稿していました。怖いもの知らずの私は、自分が作った未熟な社内報をそのコーナーに投稿し、「社内報の情報交換をお願いします」と訴えました。すると、「うちの社内報はこういうものです」と、20社ぐらいが私の呼びかけに応じてくださり、社内報の交換が始まりました。その中の1社が、後に資本業務提携をしていただくこととなった東京美装興業さんでした。当時、私は食い入るように東京美装興業さんの社内報を見て、誌面の内容や表現の仕方を勉強させていただいたものです。

今は、インターネットを通じて、手軽に何でも情報が得られる時代です。電子媒体の書籍が増えてきたように、「社内報も電子化すべきではないか」というご意見もあります。しかし、私は紙媒体というアナログな手法にこだわりがあります。紙媒体なら、社員さんが持ち帰っていただけるからです。そうすれば、ご家族の方やお友だちに見せてくださるかもしれません。もしかしたら、「私もこの会社で働いてみようかな」と思っていただける人もいらっしゃるかもしれません。
私は、そのようなことをひそかに期待して、これからも紙媒体にこだわっていきたいと思っています。