夢の餅ばあし

8月8日に発生した地震によるキャンセル騒動がようやく収束してきたと思ったら、今度は大型台風の襲来です!
非常に強い台風10号は、鹿児島県の奄美地方から日本列島に接近し、鹿児島、長崎、熊本、大分と九州を縦断した後、山口県をかすめて、なんと高知を直撃しそうです。
例年、9月に入ると太平洋から日本に上陸する進路をとる台風が多くなり、高知は台風の通り道になりがちです。中でも厄介なのは、足摺岬あたりから上陸し、だんだん北へ上がっていく台風です。これには今まで大変苦労をさせられた覚えがあります。
幼い頃、私が住んでいた所は、静かな住宅地でしたが、下水道の整備がいまひとつで、ちょっとした雨でも、床下浸水は日常茶飯事でした。床上浸水も過去に2度経験しています。幼い頃は、学校が休みになるので喜んでいましたが、大きくなるとそうもいきません。
中でも、私が中学2年生の時(1976年)に襲来した台風17号のことは、鮮明に記憶に残っています。この台風は、期間降水量2000mmを超える記録的な大雨を四国地方にもたらしました。この時は、こっぴどく父親に使われて、「もう2度と嫌だ!」というぐらい手伝いをさせられました。一息つく暇なんてまったくないほど働いた覚えがあります。台風で床上浸水すると、畳が腐ってしまうため、畳を全部捨てなければいけません。この水を含んだ畳がおっそろしく重いのです。
以降は、台風が来るとわかったら、事前に畳を上げたり、家具を移動させたりして備えました。父が亡くなった後は、私が主体となってこの作業をしたものです。幸い、下水道の整備が進んだおかげで、床下浸水こそ何度かありましたが、床上浸水の被害はなくなりました。

私の両親は経済的に非常に苦労してきました。当然、家はずっと借家続きでした。両親がマイホームを持てたのは、私が幼稚園児の頃でした。台風で家が水に漬かる災難に遭ったのですが、その際、大家さんが「売ってあげるよ」と言ってくれたそうです。それで安く買えたという話を聞いたことがあります。これがわが家にとって最初のマイホームでした。
実は、私には、幼い頃から憧れている儀式がありました。「餅ばあし」です。かつて高知では、家の落成式で「餅ばあし」が行われていました。「餅ばあし」とは、その家の人が近隣の人たちに、餅を投げて(まいて)振る舞う儀式をいいます。私は、ずっと新築に住んだことがなかったので、幼い頃から、この儀式に大変な憧れを持っていました。「いつか、自分の家を建てて、『餅ばあし』をする」というのが私の夢でした。もちろん、「家を建てるなら、浸水の心配がない海抜の高い所にしよう」と決めていました。高校生の頃から、住宅関連の本を読むのが好きで、「ああしよう」「こうしよう」と妄想を膨らませていたものです。
おかげさまで、社会人になってまもなく、24歳で新築の住宅を建てることができました。もちろん高台です。ここが浸水したら高知市内は全部浸水しているというくらいの場所を選びました。
当時、周りは畑ばかりで何もありませんでしたが、あっという間に開発が進み、近所に家が立ち並び、飲食店やスーパーマーケットも何件かできました。小学校までできて非常に便利になっています。
こうして、念願の新築マイホームを建てたのですが、なんと、すでに高知市内では「餅ばあし」の風習はなくなっていました。ですから、私の「餅を投げる」という夢は、まさしく夢と消えてしまったのです。
 
 自分の家ではできませんでしたが、親戚の家の「餅ばあし」は手伝ったことがあります。これはいまだに申し訳なく、トラウマ(心的外傷)になっている出来事でもあります。親戚が「餅ばあしのシーンを、ビデオで撮ってほしいのだけれど、誰かビデオ係をしてくれないか」と言いました。その場が静まりかえりました。なぜなら、せっかくの「餅ばあし」ですから、みんな餅を投げる役をやりたいからです。
私ももちろん餅投げをしたかったのですが、こういうときに真っ先に手を挙げるのも私です。気がつくと、いの一番に「はいやります」と言っていました。こうして録画係になった私は、親戚の記念すべき大イベント「餅ばあし」を録画しました。いや、したつもりでした。
なんとビデオテープが回っていなかったのです。親戚の「一生に一度の大イベント」を記録し損ねてしまいました。まさに大失態です。申し訳ないに尽きることで、いまだに夢にみそうです。
こうして二つの「餅ばあし」は、どちらも夢となってしまいました。