イップスと共に去りぬ

私は、いわゆる野球少年でした。幼稚園児から駆け出しの社会人のころまで、ずっと野球チームに入っていました。そんな私が中学生のころ、悩んでいたことがあります。それはイップスです。イップスとは、心理的な理由で思うように身体が動かず、動作に支障が出る運動障害をいいます。当時は、原因がわからず不安でしたが、今、考えるにイップスだったと思います。
 小学生の時は、いつもレギュラーで打順は3番でした。当然、自信に満ちあふれていました。ある意味、何も考える必要がなかったのです。ところが、中学生になると、お山の大将ではいられなくなり、慣れないレギュラー争いに巻き込まれました。
するとどうなったかというと、普段の練習でできていた華麗なプレーが、監督の前ではまったくできなくなってしまったのです。「この球を捕らなければ試合に出してもらえない」「レギュラーになれない」と考えてしまい、監督がノックした球をことごとくトンネルしてしまったのです。このイップスは、野球に限りませんでした。

社会人になると、野球を続けている人はほとんどいなくなりました。皆、ゴルフを始めたのです。私も道具をそろえましたが、ほとんど使うことはなく、ずっと物置にしまい込んでいました。
それを引っ張り出すきっかけをくれたのは、私の尊敬する経営者の一人で、不動産業のエイブルの代理店を運営されているファースト・コラボレーションの社長をしている武樋さんでした。彼もゴルフをしていませんでしたが、高知ロータリークラブの入会を機に始めようと思っていました。しかし、ゴルフ仲間がいなかったこともあり、躊躇していました。私は、ちょうど四国管財の社長を退き、会長になって時間をもてあましていました。自然と「どうせゴルフを始めるんだったら、2人で一緒にやろうよ」という話になりました。
2人は、同じ先生のレッスンを受け、練習に汗を流しました。初心者はハンディ36からの出発となりますが、当然、私たちもそこからのスタートでした。ポジティブにとらえれば、伸びしろしかない状態です。
「仲間がいれば可能性は伸ばせる」といいますが、まさにそうでした。2人は、練習に熱を上げ、どんどん上達していきました。3年ぐらい前には、80台前半のスコアを出したこともありました。このままいけば、シングルも夢ではないと思ったものです。どこへ打ち込んでもリカバリーができ、何をやってもうまくいきました。
そんな絶好調の時が1カ月ぐらい続いたある日、武樋さんはオリジナル・クラブをつくりたいと言ってきました。「それなら僕も一緒につくるよ」と言って、ゴルフクラブを換えることにしたのです。
しかし、当時使っていたクラブに何も不満はなく、スコアも絶好調で、クラブを新調する理由は何もありませんでした。ただ、友人が買い換えるという理由だけで、自分も買い換えることにしたのです。
新しいクラブは高性能でしたが、どこかが私に合わなかったのでしょう。新しいクラブにしたとたん、急に調子が悪くなりました。いろいろ考えてしまい、安定していたフォームをいじりまくりました。もはや、どう打ったらいいのかすら、わからなくなっていました。練習場では、ソコソコ当たっていても、いざコースに出るとメロメロになりました。
自信がなくなるとともに、あのイップスが顔を出したのです。それから1年半ぐらいイップスに悩まされました。今でも、かつての飛距離は全然出ません。「イップスになるかもしれない」と思っている時点で、すでにイップスになっているのかもしれません。絶好調だった、あの夏の1カ月は遠い昔のことに思えます。
折しも、私は三翠園の社長になり、また忙しくなりました。ゴルフをする時間は少なくなりましたが、残念な気持ちはありません。私のゴルフ熱は、「イップスと共に去りぬ」です。
※写真は高知RCのクラブコンペ33会の集合写真